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4月22日(水) ドュルゲル・ゾン、タクツァン僧院、国立博物館、パロ・ゾン、キチュ・ラカン、農家訪問、ダショー 今日は、最後の旅行地パロ市内を観光する。ここで、パロの街について簡単に触れてみたい。 「パロ」はブータンの玄関口である。インド経由でブータンに入国すると、最初に訪れるのがこのパロである。したがって、道路事情が悪いブータンでは、東部ブータンから西部ブータンに入るのには、一旦インドに出てからパロ〜ティンプーに入らざるを得ないという。それでも6日間ぐらいの日数がかかってしまうという。 山がちなブータンの中で、パロは比較的平坦な土地があり、昔から農業が盛んな地域で経済力を誇っていたようである。先ほども触れたように、パロはチベット、インドを結ぶ重要な交易ルートにもあたっている。したがって、ブータンで空港があるのもパロだけである。標高は2,300mで、ティンプーよりやや低いところに位置する。 今日の最初の目的地は、ジョモラリ山、ドュルゲル・ゾンであった。パロ市内からパロ・チューに沿って北へと車は登っていく。最初に到着した集落で、「ジョモラリ山」標高7,326mの秀峰を遠望できた。みんながしばらくの間、ジョモラリ山の秀峰に向けシャッターを切った。 再び、ドュルゲル・ゾンに向かって上がっていく。道中で、数頭の馬に荷物を背負わせて農産物を売りに行く旅人の群に幾度も出会った。
国境近くにある「ドュルゲル・ゾン」は、チベットとの要衝にあった。ブータンが、チベット軍の侵攻に遭ったときも防衛上の大きな役割を果たしたのもこのドュルゲル・ゾンだという。その後、1951年の火災で焼け落ち修復されないまま現在に至っているが、この廃墟のゾンが何ともいえない美しい景色であった。
■タクツァン僧院(1694年建)
■国立博物館
傾斜地に建っているため、建物の4階に入り口があり内部は6階になっている。展示物は2,000点(?)といわれ英文による説明が付けられていた。
■パロ・ゾン(創建15世紀) パロ・ゾンは、すぐ上にある国立博物館の建物と合わせて眺めると、一層美しい景観としてとらえることができた。
(639年創建の最古の寺) 「キチュ・ラカン」は、チベットを初めて統一した「ソンツェン・ガンポ王」が、チベット全域に大きな力を持っていた「魔女」を封じるために建立したといわれる。 伽藍全体がきらびやかな造りになっており、黄金のラカンとも言われている。旧堂には、釈迦を中心に複数の十一面千手観音が安置されていた。寺院の中庭には、ミカンの原種といわれる古木があり、寒い時期だったにもかかわらずたくさんの実をつけていた。(この木は年中結実するという。)
パロ市内の農家訪問に向かった。訪問した農家の集落は「ダショー・ニシオカ」追悼チョルテンのあるボンデ(村)でブータン唯一の農業地帯であった。私たちは、この地に来て初めて資材を積んだ農耕用のテイラーが走行している風景に出会った。訪問した農家は、上級の農家と聞いた。丸太2本を階段状に削り落として作った梯子を登ると、居間、寝室、客間があった。客間は、磨かれた板の間だったが「靴のままでよい」とのことだった。そこには立派な仏壇も安置されている。(どこの家庭でも仏壇は最高の場所に安置するということである。) 最初に、サービスされたのが「バター茶」だった。みんな、この独特な臭いには参った。次に「アラ」(蒸留酒)のサービスをしていただき、農家の家族としばらくの間懇談を行った。
ここで、「ダショー・ニシオカ追悼チョルテン」についてふれてみたい。
里子夫人とともにブータン入りした西岡氏は、当初2年という任期であったが、ブータン政府からの強い要請もあって、結局1992年に現地で亡くなるまで実に28年という長い間農業指導に専念した。このことにより、1980年には国王から「ダショー」の称号が授与された。今でもブータンの人たちの崇敬は篤く、ボンデ・ファームを見下ろす尾根にダショー・ニシオカ追悼チョルテンが白く美しく輝いている。
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