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ブータンとはどんな国

4月16日(木)、17日(金)
日本出発、ブータンへの経路
4月18日(土)
首都ティンプー市のプロフィール、市場、メモリアル・チョルテン、墓地、ドゥプトプ尼僧院、タシチョ・ゾン、シムトカ・ゾン
4月19日(日)
紙漉工場、国技の弓、美術学校、歓迎レセプション
4月20日(月)
ドチュラ峠、ブータン・シャクナゲ、ロベイサ村、プナカ・ゾン、プナカ・ゾン
4月21日(火)
ウォンディ・フォダン・ゾン、王立舞踊団、チュゾン、タチョガン・ラカン
4月22日(水)
パロ市のプロフィール、ドュルゲル・ゾン、タクツァン僧院、国立博物館、パロ・ゾン、キチュ・ラカン、農家訪問、ダショー
ブータンの素顔・感想
4月23日(木)ブータン最後の朝

4月21日(火)
ウォンディ・フォダン・ゾン、王立舞踊団、チュゾン、タチョガン・ラカン
早朝にホテルを出発し「ウォンディ・フォダン・ゾン」へと向かった。

「ウォンディ・フォダン」は、西のティンプーとプナカ、南のチラン、東のトンサへ向かう要衝の地である。この地方は、乾燥した風の強い地域といわれているが、山肌や道路脇などいたるところに「ウチワサボテン」が群生し、黄色い花をいっぱいにつけていた。


堂々たる
『ウォンディ・フォダン・ゾン』
■ウォンディ・フォダン・ゾン
(1638年建)

まず、目につくのはゾンの前に架かる橋の美しさだ。現在使われいている鉄橋の脇に古い橋の橋脚が残っている。この古い方の橋は1685年に架けられたというが、1968年の大洪水によって流出してしまい橋脚だけが残った。その脇に現在の橋が架けられたようである。古い橋の橋脚には「ゾン」と同じ型式の屋根が付いており、向こうの山の上に建っているゾンと並んで実に美しい景色を形成している。


「ウォンディ・フォダン・ゾン」は、建物の大きさもさることながらゾンの基礎部分を構成している石垣が美しい。また板敷きに重し石といった独特の屋根も「ゾン」全体の風格を一層素晴らしいものにしている。付近の民家、商店等は自然石のスレート屋根のものがたくさんあるが、これもブータンの古い街(この地方)の歴史を物語る珍しいものである。

このウォンディ・フォダン・ゾンでもたくさんの僧侶が起居をともにし、それぞれ役割をもって生活している姿が見られた。

私たちは、再び昨日通ったドチュラ峠を引き返し、ティンプーの街に向かった。ドチュラ峠のシャクナゲ群は、何度見ても離れ難くしばしば車を止めてはその美しさに目を奪われた。

再びティンプーの街に帰って、王立舞踊団を見学した。


王立舞踊団の仮面舞踏
■王立舞踊団
市街地から、少し北に上がったところに王立舞踊団見学広場がある。建物などはなく、周囲に簡単な塀をめぐらしただけの広場である。 何件かの演目を見学したが「ツェチュ」(お祭り)の仮面舞踏は普通僧侶が踊る出し物のようである。本物の「ツェチュ」に出会えたらもっと素晴らしいのではないかと思った。(ブータン舞踊団は、島根県の大東町でも公演(H9.11.16)されたことがある。)

夕方、最後の訪問地パロへと向かった。帰り道は、明るいうちの峠越えだったので周囲の景色、道路(ブータンでは最も整備された主要道とのこと)の状況がよくわかった。狭いカーブの多い道路であるが、ガードレールなどは無い、夜間に通行する車両のために、道ばたの置き石や、山側の崖から突出した石に白いペンキ(?)を塗り、路側の標識にしていた。(ティンプーに入るとき、ライトに照らし出される白い石は何だろうと不思議に思っていたが、その謎−正体−がわかった。)

■チュゾン(ティンプー橋)
ティンプーを出発してから1時間近くも経ったであろうか、ティンプー・チュー(川)とパロ・チュー(川)の合流地点に出た。ここは、ティンプー、インド、パロへの分岐点にもあたる。ここにもゲートを下した検問所が置かれている。

川の向こう岸には、小さな三様式のチョルテンが建っていた。多分この地方の主要地点ということかもしれない。

チュゾンを出発して行くと、やがて車窓の左向こう山の中腹にある小じんまりと美しいラカンが目に入った。


検問所の下にある三様式の『チュゾン』
■タチョガン・ラカン(1641年)
ティンプーからティンプー・チューに沿って下っていくと、川向こうに見えてくるのが「タチョガン・ラカン」である。タチョガン・ラカンはタントン・ギャルボ(チベット出身の高僧)によって開祖されたといわれ、現在では個人所有の寺となっている。(タントン・ギャルボは、「鉄の橋」を架けたことで有名な高僧である。)

タチョガン・ラカンを出ると、パロの街までは意外に早かった。オラタンホテルに入ったのはまだ夕方の早い時間であった。

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