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4月16日(木)、17日(金) |
4月19日(日) 紙漉工場、国技の弓、美術学校、歓迎レセプション ブータン入りして2日目、現地の食事にも少しは馴れてきた。というより、食事の要領(自分の嗜好にあったものを十分食べる)を覚えてきたのかもしれない。今日もティンプー市内の見学に出かけた。
今日は、島根で紙漉技術研修を受けて帰国した青年たちの工場見学に向かった。かつて、ブータンの紙漉技術は稚拙で、紙質が悪く、保存文書等の長期保存用に対応できるものではなかったようである。そこで島根県が仲介し、八雲村・安部信一郎氏、そして三隅町の紙漉き工場の方々の熱心な技術指導があって、黄蜀葵(とろろあおい)の使用方法もマスターする等、現在では民芸紙として素朴で暖かみのある製品を生み出すまでになっている。 最初に、ノルブ・ティンヂン氏の工場を訪問、次にケソン・ユードンさん(女性)の工場を見学した。二人とも島根県で技術研修を受け、帰国後その技術をもとにブータン特有の素朴な民芸紙の生産に努力されている。今では、両氏の作品が海外に輸出されるまでになり、世界各地で好評を博しているようである。 ブータンでは、紙の原料となる植物「ダフネ」(ジンチョウゲ科の落葉低木)が山野に自生している。しかし、現地で見かけるところ原料が豊富にあるとは考えられず、将来にわたって良質の紙を生産し続けるためには、原料となる植物「ダフネ」の増殖(栽培)も必要ではないかと感じた。
古来、ブータンは強兵の国として知られていた。チベット軍、モンゴル軍の侵略に耐えてきたのもその所以である。そのように強兵の策の中から生まれたのが弓道競技である。今では国民の遊び、さらにそれにとどまることなく、スポーツとしても真剣に取り組まれている。ティンプー市内の河川敷に競技場が設けられており、われわれが滞在している間も毎日のように朝から日暮れまで歓声をあげながら競技が行われていた。 弓は2本の竹を合わせて作ったもので、矢も竹製である。試合は1人2射ずつ、120m先の直径50cm位の的をめがけて射ち込む。競技は1チーム5〜6人で順番に打ち込む。的の中央に当たれば3点、それ以外は1点と、合計25点を先取した方が勝ちとなる。1点とるごとに、味方チームのメンバーは勝利の歓声をあげ踊りを踊る。また勝利者は絹のスカーフを受け取り、名誉の印として腰帯につけて勝利を誇示する。 スポーツは、弓道のほかにサッカーとバスケットボールがあるようだ。
■美術学校 希望すれば製作品を買うこともでき、記念に小さな仏画等を購入して帰った。
夜は、通商産業電力大臣の歓迎レセプションに招待していただいた。会場となった「モティタンホテル」は見晴らしのよい高台にあり、ホテルからティンプーの美しい夜景を眺めることができた。国賓の招宴等に利用されるホテルとのことである。 先ず、通商産業電力大臣であるオム・プラドハム氏の歓迎挨拶があり、次いで団長・荒木克之氏(山陰中央トラベル社長)が謝辞を述べ、それぞれ記念品の交換があった。大臣は挨拶の中で、「ブータンは古くから日本と親密な関係にある。日本の協力をたいへん喜んでいる。島根の協力にもたいへん感謝をしている……。」ということで日本の支援を大いに期待されていることがわかった。 |