4月18日(木)
朝、ローマ空港を出発、途中フランクフルト経由で帰国の途についた。
後感
地中海の要衝シチリア島、そして小さな島でありながら各国の騎士団を擁し堅塁を誇ってきたマルタ島は一度行って見たいところだった。
小さな島でありながらパレルモ(シチリア州の州都)は大都会の感を受け、シラクーサ、アグリジェントはギリシャ時代の繁栄の跡を目の当りにすることができた。
マルタ島では、何といっても壮大華麗な聖ヨハネ騎士団の跡である。勇気、礼儀、名誉、そして清貧と貞潔を誓ったという騎士団たちの勇姿が彷彿として甦ってくる。日本人もこのプロバンスたちの盛衰、特に自堕落による崩壊する姿は心すべきことかもしれないと思った。
また、マルタ島の北東部は5千年の歴史が厳然と読みとれた。古代人の技術と英知には感嘆するばかりであった。
旅行中、イタリアの大ストライキなどに遭遇したが、このことがかえってマルタ島と、ローマで十分の時間がとれたことも幸いであったと思っている。
添乗員の穂積温子さんには、最初から最後まで懇切ていねいに解説し案内していただいた、深く感謝申し上げたい。
最後に、シチリア、マルタの歴史を年表で追って見た。参考になれば幸いである。
2002年4月 長岡 榮 記
シチリアの歴史(年表)
紀元前 8世紀 |
フェニキア人が良港のあるパレルモに根拠地をつくった。 |
前 25年 |
第一次ポエニ大戦でローマが勝利し、700年間にわたって古代ローマ時代が続く。 (5世紀ごろからローマの衰退がはじまる) |
535年 |
ビザンツ帝国(東ローマ帝国)が支配し、300年ほどビザンチン文化が爛熱してゆく。 |
831年 |
サラセント人が侵入。 |
948年 |
パレルモを首都としてイスラム人支配が始まる。 |
1072年 |
ノルマン人が制覇 |
1130年 |
ルッジェーロ・2世が戴冠し、ノルマン王宮など北ヨーロッパの息吹が根づく。政権はホーエン シュタイン家に継承され、中世最初の近代人と評せられたフリードリッヒ2世のもとでシチリアは文字をはじめ豊かな芸術文化が開花してゆく。
破壊よりも融合をはかったノルマン王朝の思想が大きく影響しイスラム文化融合の建造物が残った。 |
1266年 |
アンジュー家 |
1442年 |
アラゴン家 |
1712年 |
サヴォイア家 |
1718年 |
パプスブル家 |
1735年 |
ブルボン家と時代が移り変る。 |
1860年 |
ガリバルディの独立統一戦争によって、イタリア統一がなされた。 |
(地球の歩き方108より)
マルタの地理と歴史
位置 |
シチリア島の南93km、チュニジアに挟まれた地中海の真中に位置する。マルタ本島、ゴゾ島、コミノ島、その他無人島が2つ、合計5つの島から成る。 |
歴史 |
紀元前8,000年、あるいは5,000年からの歴史があるといわれる。歴史を物語る巨石神殿文化は、地中海文明の源といわれ、エジプトのピラミッドより古い歴史を有する。 |
民族 |
高度な文明を誇った人々は忽然と姿を消していき、その後に、古代フェニキア人、ギリシャ人、カルタゴ人、ローマ人、アラブ人、ノルマン人、カスティーリャ人など多くの民族がマルタに足跡を残している。 |
宗教 |
西暦60年、聖パウロが漂着、キリスト教が広まっていく。 |
聖ヨハネ騎 士団の歴史 |
11世紀、キリストの戦士として聖地パレスチナへのキリスト教徒の巡礼保護と、異教徒との戦いを目的とした十字軍が発足。 |
1113年 |
聖ヨハネ騎士団がパレスチナに創設され、十字軍の負傷者と病人の看護、貧者の救済に貢献する。 |
1291年 |
騎士団は十字軍の激戦地アクレ(アッコンの砦)をイスラム教徒に占領される。 |
1522年 |
オスマン帝国の第10代スレイマン1世によってロードス島を攻略され、騎士団は新たな永住地を求め各国を転々とする。 そして、神聖ローマ帝国皇帝カール5世からマルタ島を貰い受けた。(条件=年貢「鷹一羽」を納めること) |
1565年 |
トルコ軍は、強大な船団を率いてマルタ攻略の大包囲作戦を展開―――3ヶ月に及ぶ激戦で崩壊寸前のところをシチリアから援軍を得て勝利する。
勝利後、騎士団長ジャン・パリ・ドゥ・ラ・ヴァレッタは岬に城塞都市を築く。この地を団長の名前をとって「ヴァレッタ」と名付ける。
都市は、戦時を想定して作られ、また経済、文化の繁栄の基礎をもなした。 |
1798年 |
エジプト遠征途中だったナポレオン軍、総勢5万8千人の兵と船隊は、水と食糧の調達を口実にマルタに立寄り、平和な時代に酔いしれ戦うことを忘れ自堕落していた騎士団をまったく無抵抗のまま降伏させてしまった。268年に及ぶヨハネ騎士団のマルタ支配は終りを告げ、その後フランスの属領になる。(フランス支配も2年で終る) |
1800年 |
マルタ島民は、イギリスのネルトン総督に援助を要請し、フランス駐屯部をマルタから一掃する。そして英国の統治下に入る。 |
1964年 |
独立 |
1974年 |
共和制を宣言「マルタ共和国」となる。 |
(地球の歩き方108より)
追記
写真撮影に時間をとられ、ガイドの説明を十分聞きとれなかった部分もあるが、説明を基に思いつくまま記述して見た。
また、ダイヤモンド社「地球の歩き方」(24)(108)を参考にさせていただいた。
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