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シチリア・マルタ島そしてローマへ
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港の上に広がる美しい城塞都市(マルタ島)
港の上に広がる美しい城塞都市
(マルタ島)
4月13日(土)

今日は、マルタ島に渡る。シチリアのカターニヤ空港から40分ぐらいで到着するところにある。

マルタ島は、全体の面積が淡路島の3分の2、佐渡ヶ島の2分の1という小さな島である。

島全体が石灰岩の岩山で、古代には大陸と陸続きになっていて、樹木が生い茂る緑豊かなところであった。その後地殻変動により島になり今のように丸裸の島になったのは、造船のため樹木を切り出したことからといわれている。

青銅時代にはすでに砦が築かれ、紀元前1,000年には古代フェニキア人が砦の周辺に壁を巡らせ町を拡張し、外敵を寄せつけない堅塁を築いた。

マルタ島ヴァレッタの町へ
マルタ島(ヴァレッタの町)
1964年9月に独立し「マルタ共和国」となり、イギリス連邦内の一国となっている。言語はマルタ語を使用し、通貨はマルタリラ「ポンド」で独自のものである。

最初、「宮殿の町」ヴァレッタから観光に入った。

この町の見どころは「聖ヨハネ(マルタ)騎士団」である。騎士団を語らずして、この国は語れないといわれるほど今もなおその息吹が感じとれる町である。

町の中心へはバスは乗り入れられない。バスターミナルで下車し、歩いて観光する。巨大な城門「シティ・ゲート」を入るとフリーダム広場に出る。巨大な列柱の基幹部分が立ち並ぶ遺跡の脇を通ってアッパー・ベラッカ・ガーデンに行き、高台からスリーシティー(三つの港町)を正面から俯瞰する。そして、メイン通り「プロバンス」(フランスの騎士団長の館)、宮殿(パレス広場の右手・縦96m×横81m)に行く。


マルタ共和国の首都ヴィレッタの町入口
(中央トリトンの噴水−町中へはバスは入れない)
  シティーゲート
巨大な石垣シティーゲート
  町の花屋さん
町の花屋さん
宮殿では、12枚のフレスコ画から掲げられた最高会議の間、カペストリーの張られた審議の間(カペストリー=壁面装飾と石造りの建物から冷えを防ぐためのもの)、そして兵器庫等を見学した。

騎士団長の宮殿は、現在大統領府と議会が置かれているが、そこまでは見学できない。

騎士団長の館の回廊
騎士団長の館(回廊)
  最高会議が開かれる部屋
最高会議が開かれる部屋
  兵器庫(甲冑、槍、銃刀類)
兵器庫(甲冑、槍、銃刀類)

海岸に向かって下って行く町の通り
写真では雰囲気が出せないが、海岸に向かって下って行く町の通り
町の中心は小高い丘になっている。中心をメインストリートが走っており各国の騎士団の館(宿舎)が建ち並んでいる。また町は整然と区画されており、メインストリート(町の中心部)から海岸線に向って急勾配で下がって海に達している。

騎士団とは、キリスト教を尊び、勇気、礼儀、名誉を重んじた。団員は、ヨーロッパの富裕階級の二男であることが条件で、清貧と貞潔を誓い、結婚は認められなかったという。十字軍とのかかわりが深い。

聖ヨハネ大聖堂
聖ヨハネ大聖堂
次は、ヨハネ大聖堂に行った。この教会は、マルタ騎士団の守護聖人ヨハネに捧げられた教会である。内部は豪華で、暗くひんやりとした感じは遠く祖国を離れた騎士たちの哀愁さえ感じさせる場である。また、床一面に敷き詰められていた墓碑も異様な感じを覚える場所でもある。

午前で観光を終ったので、午後はスリーマのホテル下海岸を散策した。

4月中旬であるがボツボツ海水浴客も訪れていた。

スリーマの海岸
スリーマの海岸
海水浴もボチボチ
海水浴もボチボチ
マルタバス
有名なマルタバス
(30〜40年前イギリス、アメリカで使われていた古いバスが活躍)
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マルタバス

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