11月13日(水)
高台に登りサフランボルを一望
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朝、高台からサフランボルの町を俯瞰した。
昨晩歩いた町を再度見学しながら歩いた。町の中心地に昔、隊商たちが利用したという「マハム」が2軒あった。建物の屋根にいくつものドームが並んでいるので面白い建物だった。昨夜のマハム組もこの店に行ったらしい。
昔隊商たちが利用したトルコ風呂(マハム)の建物
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午前中、早い時間にサフランボルの町を出発した。
途中、山合いのアドバン湖畔で昼食をとった。
湖水の向うは美しい雪山が聳えていた。
山岳地帯「ボル」の町を過ぎると黒海沿岸の美しい平野が広がる地方に出た。
イズミールの町に入ると、もうすぐイスタンブールである。
イズミールは、1999年の大地震(マグネチュード7.2)に襲われたことは耳新しい話である。日本は、いち早く救護の手を差しのべたことでトルコ国民は大変喜んでいるという。
神戸で使用していた中古のプレハブ住宅がイズミルで大きな活躍をしていた。トルコが親日国であるのは、昔トルコ船が遭難した際日本の人達が助けたこと、そして今回の地震で支援の手を差しのべたということにあるらしい。
心温まる結構な話である。
イスタンブール
イスタンブールに帰ってから、ボスボラス大橋を渡るときは渋滞であった。
現在、ボスボラス海峡は3つの橋で東西を結んでいる。これだけでは今の交通量は捌ききれないという。最近、第4の大橋を架橋しようという話が持ち上がっている。
ボスボラス海峡の長さは30kmで黒海とマルマラ海を結んでいる。
川幅の狭いところで700m、広いところで1,300m、水深112〜50m。
先ほど通過してきた第1ボスボラス大橋は、全長1,074mの斜長橋で、フランスとドイツの合弁により1973年に完成したものである。
ベリーダンスショー
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ふり返って見ると、今月7日にイスタンブールを振り出しに、今日まで7日間をかけてトルコ西半分の主要観光地を回ったことになる。距離にすると、実に2,700kmを走破したことになる。
イスタンブール到着後、グランドバザール(カパル・チャルシュ=屋根のある市場)に行った。夜は、ベリーダンスショーを見学しながらの会食――イスタンブールの最後の夜を楽しんだ。
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11月14日(木)
 新市街と旧市街を結ぶボスボラス大橋
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金角湾を隔てて昇る美しい朝日に目を醒まされた。金角湾という名称もこの朝日の美しさから命名されたものという。
午前中、ボスボラス海峡のクルーズを楽しんだ。
ベイレルベイ宮殿、ボスボラス大橋などを海上から眺め、これで今回のトルコ旅行全日程を終った。
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出発前から、11月頃から雨期になるとは聞いていた。
でも、今回のように滞在期間の8日間のうち6日間も大なり小なりの雨にたたられるとは予想もしなかった。でも、昼間とか観光地を歩いているときに大雨に降り込められるようなことがなかったのは幸いだったかもしれない。
また、トルコ国民は親日的だと聞いていた。本当にトルコの人たちは親切で優しいと思った。写真を撮らせてもらってもみんなこころよく応じてくれた。おかげであちこちの人たちに写真を送ってあげる破目にもなった。
先日、テレビで見たのだが、両親が子どもたちに「人には親切にするもの」と教えている度合いが、トルコやアメリカは100%、日本人は70%(正確に記憶していないが)、その中で「大変に教える」の割合がトルコは非常に高かったように覚えている。日本では、最近知らない人に親切にして大変な事件になったりしたことがあるからかもしれない。誠に残念な世相になってしまったものである。
最近、大変なインフレと聞いた。3日もたつと貨幣価値が変わるといわれていた。
しかし、トルコの人たちはみんな慎ましやかに、そして分相応に着実に暮らしているようにも見えた。見習うべきことかもしれない。
今回のトルコ旅行は、ずい分楽しみにしていたが天候のせいか何か不完全燃焼のような気分に終った。でも
機会があればもう一度行って見たい国の1つだと思った。特に、カッパドキア地方、パムッカレ地方、そして東部のネムルトダーゥ、ハサンケイフ方面へも行って見たいものである。
旅行中、現地ガイドのムスターファさんの懇切な説明、安全運転のユミットさん、そして添乗員の吉田邦芳さんに大変お世話になったことを感謝申し上げたい。
2002年11月 長岡 榮 記
<追記>
この旅行記は、ガイドのムスターファさんの説明を基にしてまとめてさせていただいた。聞きもらし、聞き誤りがあるかもしれないことをお許し願いたい。また、史実等の点については、ダイヤモンド社発行の「地球の歩き方(21)トルコ編」を参考にとりまとめさせていただいたことを申し添えておく。
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