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5大世界遺産を訪ねてトルコへの旅

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11月12日(火)

今日は、トルコに入ってはじめての晴天になった。

アンカラ

アンカラの朝アンカラの朝
アンカラは、1923年共和国の成立とともにトルコの首都となった。 (初代大統領ケマル・アタテュルク)当時は人口約6万人の町であったが現在は約370万人の大都市である。

アンカラとは、「アンキュラ」=谷底という意味で、地下水が豊富なところである。オスマン朝時代には“アンゴラ”とも呼ばれていた。 1402年には、ティムール軍とオスマン軍が戦っている。

アタチュルク廟

トルコ共和国の父ムスタファ・ケマル・アタテュルクを葬るため1944〜53年にかけて造られた廟である。 回廊は博物館になっている。
 協和国の父アタテュルクの眠るアヌトゥカビル
協和国の父アタテュルクの眠るアヌトゥカビル
 賓官の参観があり献花の儀式も行われる
賓官の参観があり献花の儀式も行われる



アナトリア文明博物館

元、隊商宿として建てられたもので、15世紀には貴金属市場となっていた。 後、博物館に改造してあり、アナトリアの出土品を展示している。地母神の座像(10cm余り)、青銅製のスタンダード、金製の双子像などが有名である。
 地母神の座像 大きさ10cm余
地母神の座像 大きさ10cm余
 青銅製のスタンダード(トルコのシンボル)
青銅製のスタンダード(トルコのシンボル)

アンカラを出ると、車は黒海地方を目ざして北に向かって進んでいった。 しだいに山岳地(1,400〜1,500mの山脈)に入り、岩肌をむき出しにした山々を眺めるバス旅であった。 農地も少なくなっていった。昨夜は雪が降ったらしく、山々は雪化粧をして我々を迎えてくれた。 サフランボルの町が近くなった頃大きな製鉄工場のある町に出た。トルコ最大の製鉄所だと言っていた。


サフランボル

サフランボルは、小さな町であった。シルクロードの通過地点で、オスマン朝時代(14〜17世紀頃)に最も繁栄した。1994年には、世界文化遺産に指定されている。シルクロードの時代にタイムスリップしたような町であった。 「サフランの花」が多いことからこの名前がついた。「ボル」とはトルコ語で“たくさん”という意味=「サフランがたくさん」ということであろう。人口は45,000人の小都市である。 トルコ国内で最も昔ながらの民家が数多く残っている町である。“土壁に木製の窓枠”という独特の建物には今でも人々が生活している。


中は昔のままで保存されており旅行者の憧れの的中は昔のままで保存されており旅行者の憧れの的
今晩のホテルは、カディオグル シェサデ コナリ(KADIOGLU SEHZADE KONAGI)。

古い木造の建物は5棟に分かれており、それぞれの建物に分宿した。このホテルは旅行者たちの憧れのホテルで、めったにこのホテルにめぐり合うことがないといっていた。
ホテルは、小学校の隣りにあり、夜まで子どもたちの歓声が聞こえていた。

夕食後、町の散策に出かけた。 「マハム」(サウナ)のグループと町の散策のグループに分かれた。われわれは町の散策のグループを選んだ。因みに、マハムは950万リラ(約8$)とのことだった。 観光客のためか、町の商店は夜遅くまで開いておりみんな親切に対応してくれた。 お菓子屋さんで「イムレン・ロクム」というサフランボルを原料にしたお菓子の試食品をくれた。ゼリー状の美味しいお菓子だった。

商店街を歩いていると、学校帰りの男女の生徒(小学校高学年?)が自分の名前を名乗り話しかけてきた。

小学生のようだが日本語で話し掛けてくる小学生のようだが日本語で話し掛けてくる
「コリアン?ジャパニーズ?」
ジャパニーズ、と答えると
「東京?、大阪?」
と聞き返してきた。そして今度は
「貴方のアドレスを教えて下さい。」と日本語で語りかけてきた。
おお、ベリ、グッド…と誉めてやるととても喜んでいた。

子どもたちの写真を撮ってやった。(夜の町でうまく撮れないかと思ったが)送ってあげようと約束した。 子どもたちは喜んでアドレスをメモしてくれた。 こんな、田舎町で、しかも小学校の生徒で日本語を話せるなんて大したものと感心した。

旅のいい思い出となった。


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