世界旅トップページ

copyright(c) by matsue joho center, inc. all rights reserved.

5大世界遺産を訪ねてトルコへの旅

トップページ  11月6日〜7日  8日  9日  10日  11日  12日  13日〜14日 後感

11月10日(日)

今日は、移動距離が長いので早朝午前4時30分ホテル出発であった。パムッカレ〜アヒョン〜コンヤ。コンヤで観光をして、再びカッパドキア地方のエルギュップまで700kmを走破するのである。長いバス旅行で、道中の時間を利用してガイドのムスターファさんからトルコのことについていろいろ話をしていただいた。

トルコは、イスラム教国家で国民の90%がイスラム教徒である。政教分離の政策をとっているので厳しい戒律の掟はない。したがって1日5回のお祈り、ラマダン期間中の断食も強制的ではない。旅行期間中もトルコはラマダン期間中(11月3日から1ヶ月間)であったが、先年旅行したモロッコ(ラマダン期間中)とは大きく異なっていた。 今でも教徒の人たちは、イスラム教のメッカ「サウジアラビア」へ巡礼に行くそうだ。巡礼に要する費用は、日本円にして50万円ぐらい、期間も約1ヶ月間ぐらいが必要とのことである。

寄捨

お金を持っている人は、持ち金の4分の1を寄捨する。寄捨は貧しい人たちにお金を与えるためのものである。

生贄の祭り

昔預言者が羊を生贄にしようとしたが羊がなくて、自分の子供を生贄に差し出したという悲しい伝説がある。今は、貧しい人たちに肉を与えるために行う行事(お祭り)という。

トルコは税金が高い

税金、収入の約18%、年金保険料も22%。退職金、一般の人100万円、医療や弁護士300万円ぐらい。医者でも民間医が収入が高く月収20〜30万円。公務員医師4〜5万円、年齢が高くなっても8〜9万円ぐらい(全て日本円に換算したもの)。

結婚は見合結婚のみ

見合いの方法は「今晩、見合いに伺います。」と挨拶して彼女の家を訪ねる。話し合いが成立すれば結婚へ。

貧富の差は大きい(どこの国でも同じ事かもしれないが)

お金持ちの人はイスタンブールに住む。家賃80〜90万円というのもある。政治家の月収が10万円くらい。

遺跡の脇でオリーブの収穫をする農婦遺跡の脇でオリーブの収穫をする農婦
エーゲ海地方は温暖で(丁度バスで通っているときの地方)、別荘、リゾート地帯として有名

土地が安いので家を建てて住みつく人たちが多い。 山の中腹までオリーブ畑が広がる農業地帯、この地方の農家は裕福である。 月収10万円くらい。都市部の一般の人3万円くらいと比較するとその富裕度がわかる。

アヒヨン地方(地中海地方の内陸部、地震の多い地方)

農業が盛ん、(麦作が中心)農家1戸当り30万円くらいの収入を得る。農地は、個人所有で1戸当り100〜400ha、整然と整備された立派な農場地帯である。しかし、生活は大変苦しいのが現状のようだ。

山は、国有地でほとんど無毛のハゲ山である。 沿道は、果樹園が紅葉期(サクランボ、アンズ、リンゴ等)でとても美しい景色だった。昔は、ケシ(薬用あへんの原料)の栽培が盛んであった地方。

トルコの家族など

子供は、大体5〜6人ぐらいと非常に多い。これは農業に従事する働き手を確保するためである。因みに都市部では2人くらいが普通。
結婚年齢、男25〜27才、女23〜25才ぐらい。
自家用車保有率20%位。したがって、トルコ人の目標(願い)は、自家用車を持つこと、マイカーを持つことである。 交通違反(スピード違反)、罰金5,000円(日本円)――大体、賄賂で釈放(1,000円くらい)してしまう。

トルコのことについて、いろいろ面白い話を聞いているうちコンヤの町に到着した(午前10時20分)。

コンヤの町

コンヤは、アンカラの南方250km、セルジュク・トルコ帝国の都であったところ。1077年、ルーム・セルジューク朝が、イズニックからコンヤに首都を移し、その後、カィクバード1世時代に大きく発展した。 現在、人口75万人のトルコ5番目の都市、標高は1,100mで少し内陸部に入ったところに位置している。

メヴラーナ博物館

旋舞教国として知られるイスラーム神秘主義の一派メヴレヴィー教団の創始者メヴラーナ・ジェラールッディン・ルーミーの霊廟である。 緑色のタイルで覆われた円錐形の屋根が美しい(13世紀末建造)
メヴレヴィー教団の霊廟
メヴレヴィー教団の霊廟

メヴラーナの柩
メヴラーナの柩



カラタイ神学校

カラタイ博物館、現在は陶器博物館となっているカラタイ博物館、現在は陶器博物館となっている
1251年セルジューク朝のジェラレッディン・カタライ宰相によって造られた神学校―セルジューク様式の美しい浮彫りや、スタラクタイト(鍾乳石)で飾られた建物は芸術品である。現在、陶器博物館となっている。建物の内部は、黒と青の陶器モザイックで飾られている。



キャラバンサライ(シルクロードの沿線に点在するラクダ隊商の家)

豪壮なキャラバンサライ豪壮なキャラバンサライ
最初訪れたのは、現在食堂に転用されている古い隊商の家だった。 キャラバン・サライの雰囲気の漂う中で昼食をとった。

次に訪れた隊商の家は立派なものだった。重厚な門をくぐると広い中庭がある。ここで隊商たちが商品の取引を行った場所と聞いた。両脇に並んだ天井の高い広い部屋が並んでおり、隊商たちがラクダと起居をともにしたところであろうと思った。 ラクダの鳴声でも聞こえて来そうな感じがする場所だった。

コンヤから、またかなり長い時間のバス旅であった。 夕方早くカッパドキアに着き、今日のうちにカイマクルの地下都市だけを見学をすまして、明日の観光に余裕をもたせるとのことだった。



カッパドキア地方

カイマクルの地下都市へカイマクルの地下都市へ
カイマクルの地下都市

テレビや写真で見ていた通り全く凄いものだった。砂岩の岩山を掘り、地下6階までの住居群をつくっている。通路は狭く、天井が低いので中腰になって降りて行かなければいけない。実に難儀なことである。
(まだ地階は下に続いているようだった。)

敵が攻めてくれば丸い石の扉を転がして入口を塞ぐ敵が攻めてくれば丸い石の扉を転がして入口を塞ぐ
通路の両端には、いたるところに分かれ道があり、そして入口を簡単に閉じてしまう石の扉も備えてある。また隣の部屋も覗いて連絡が取れるようにもなっている。これでは敵が攻めて来てもどこからでも迎撃できる立派な城塞だっただろう。

地下都市の生活に入ると、自分たちの排せつ物・ごみなどは敵に発見されないように夜になるのを待って近くの川などにもって行き捨てていたという。 戦争に出ていくよりも、ここで敵を迎え撃つ方が安全(簡単)安上がりだと考えていたようである。この地方には、ここのほか、いたるところにこのような地下都市が残っている。

地下都市を見学していると、ふと先のアフガニスタンの戦争が脳裏をよぎった。


トップページ  11月6日〜7日  8日  9日  10日  11日  12日  13日〜14日 後感

世界旅トップページ