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5大世界遺産を訪ねてトルコへの旅

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11月9日(土)

エフエソス遺跡

今日は、イズミルから南へ76km入ったエーゲ海地方では最大の遺跡都市エフエソス遺跡の見学に伺う(新都市名では“エフェス”ともいう)

エフエソスの歴史
紀元前11世紀頃 ガリア人の集落。この土地にイオニア人がアルテミス神殿を中心とする都市を建設し繁栄させる。

前356年 アルテミス神殿が消失。そして河川の氾濫により砂が堆積し疫病が発生する。その後ベルガモン王リシマコスが新都市を建設し、聖パウロの伝道地として繁栄させる。
(共和国成立後「セルチュク」と改称され現在に至る。)

聖母マリアの家(エフエス)聖母マリアの家(エフエス)

マリアの家

最初、聖母マリアの家に行った。マリアの家は山の中腹にあり、エフエスの町を見下ろすとても景色のよいところにあった。

聖母マリアの家というのは、18世紀末、尼僧アンナ・カテリーナがかつて1度も訪れたことのないこの土地(エフエス)で石造りのマリアの家の様子を語りだし、マリアの家探しをはじめた。彼女の語ったとおりマリアの家を探し当てる。 彼女の話では、聖母マリアは64歳で亡くなったとされている。



エフエソス遺跡

ヘラクレスの門
ヘラクレスの門
聖母マリアの家のある丘を下りてエフェス遺跡に向かった。エフェスは、数々の芸術を育み、人々が人生を謳歌したと言われる都市遺跡である。ガイドブック等でももっとも詳しく紹介されている有名な遺跡である。
遺跡に入ると、ヘラクレスの門、市公会堂跡、そして美しいモザイックタイルで舗装されたクレテス通り、その右手にはトラヤヌスの泉、公衆浴場、美しいアーチが残るハドリアヌス神殿、ポリオの泉などの遺跡がある。公衆トイレ跡、娼館跡もあった。
勝利の女神・ニケのレリーフ
勝利の女神・ニケのレリーフ
娼館の前の曲り角正面には壮麗なケルスス図書館がある。この図書館の中には地下道があり、この地下道を通って娼館に行っていたようである。“図書館で勉強”聞こえはいいが実は“娼館で勉強”…?

遺跡の中には、勝利の女神像(ヘラクレスの門のアーチに飾られていたもの)実に力強いレリーフである。
そして大劇場に行く途中には、古代の“売春宿の広告”(足形を彫った石)がある。この足形より小さい足の男は入れなかったとか…?
遺跡の一番北側の山手斜面には、巨大な体育場跡と競技場跡が残っていた。全体的に、まだまだ遺跡調査が続けられるようで近くの材料置場には発掘された遺跡の石材がいっぱいに並べられ大切に保管されていた。

ヴァリウスのローマ様式浴場跡ヴァリウスのローマ様式浴場跡 美しい装飾のハドリアヌス神殿美しい装飾のハドリアヌス神殿 巨大な競技場30×230mのU字型巨大な競技場30×230mのU字型 モザイクタイルで装飾されたクレテス通り
モザイクタイルで装飾されたクレテス通り
公衆トイレの部屋公衆トイレの部屋 壮麗なケルスス図書館壮麗なケルスス図書館 水道施設に使われていた水道管(土管)水道施設に使われていた水道管(土管) 数々のレリーフが置かれていたがほとんどがレプリカである
数々のレリーフが置かれていたがほとんどがレプリカである



アルテミス神殿

列柱が1本だけ残っているアルテミス神殿
列柱が1本だけ残っているアルテミス神殿
豊穣の女神アルテミス神殿として紀元前7世紀頃から120年の歳月をかけて建設された。その後7回破壊され、7回再建されたことで有名。

125年にゴート族によって破壊され、その後6世紀には石材が運び出され、現在は円柱が1本残っているのみだった。

午後は、エフエスの町を後にしてパムッカレに向かう。 エフエスの街から、トルコの中心部山岳地帯に入っていく。 日暮れまでにパムッカレの遺跡群と石灰棚を見学してしまうため道中を急いだ。 パムッカレ地方は、温泉が多いと見え、温泉熱を利用した発電所を見かけた。地震も多い地方と言っていた。

この地方は、男尊女卑の風習があり、男性は働かないで女性が働く、男性の権力が強いところと言っていた。男性は、せいぜいトラックターの運転ぐらいのことである。

また、この地方の風習として民家の屋根にボトル(空瓶)を飾っている。これは、結婚適齢期の女性がいる家という目じるしで、若い女の子の人数だけ飾っておく。結婚すると取り去ってしまう。トルコは、全て見合い結婚で、青年たちは好きな女性の家に「今晩見合いに行きます。」と挨拶しておき、相手の家を訪れる。話し合いが成立すれば結婚ということになるらしい。



パムッカレ観光

パムッカレ遺跡と石灰棚は同じ場所に隣接していた。 「パムッカレ」とはトルコ語で「綿の城」という意味である。この地方最大の温泉保養地だそうだ。

パムッカレ遺跡

パムッカレ遺跡パムッカレ遺跡
さまざまな遺跡が点在している台地
さまざまな遺跡が
点在している台地

パムッカレ遺跡も広大な面積のところに遺跡が残されている。北門から入って行ったのだが、最初1,000を起す共同基地ネクロポリスなどがあるところに行った。

そして、ヒエラポリスの区域に行った。紀元前190年頃から建設された都市遺跡で、最も内陸部にある遺跡ということだった。ドミティアン門、円形劇場、共同浴場などあるらしいが、夕暮れが迫っており早く石炭棚を見学しないといけないということで急いで石灰棚の入口に向かった。



石灰棚

石灰棚は、想像した以上に広い面積のものだった。(面積不明)おそらく20haくらいは十分あるだろうと思った。 最近、温泉が涸れつつあり、棚に湯を流しているのは夏の昼間のみ、そして石灰棚保護のため立入ることが禁じられていると聞いていた。でも今回は中に入って見学することができ幸いであった。但し、靴を脱いで跣で歩くことになっていた。とにかく時間の許すかぎり急いでできるだけ奥地まで入って行った。谷底の滝壷では温泉浴をしている人たちを見かけた。 これだけの広い山肌を温泉の石灰分で塗りこめているのだから、昔は大変な湯量がこの台地を流れ落ちていたのだろうと思った。

ずい分歩いたので、鮫肌のようになった石灰岩の台地で足裏がすり減ったのか痛くてとても大変になってきた。 本来は、天気の良い夕方が最も美しい景色だということだったが、残念ながらあいにくの曇天と夕暮れが迫っており、その美しさを見ることが出来なかった。
谷底に温泉池ができている
谷底に温泉池ができている
風紋ならぬ「流水紋」が美しい
風紋ならぬ「流水紋」が美しい
地形によって棚田のようになっている
地形によって棚田のようになっている


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