4月30日(金)
今回の最後の訪問地ベルリンである。今日の観光が無事に終わることのみを願った。
 建設の進むベルリン市内 |
ベルリン市内へは案外スムーズに入っていった。ベルリンを東西に長い間分断していたことが町の雰囲気をこんなにまでも変えてしまうのかと驚くばかりだった。
ここで、ベルリンの歴史を振り返ってみたい。
ベルリンがドイツ帝国の首都になったのは、明治維新よりも後の1871年。したがって、東京都の歴史よりも新しいことになる。新しい町だったため、国内はもとより、周辺の国々から次々と移民が起り急速に成長発展してきた。
最初、フランスからのユグノー教徒が移ってきた関係で、ベルリンにはフランス風の地名が多いといわれている。したがって、18世紀にはフランス人が、次いで19世紀に入るとポーランド人が多くなり、やがてはユダヤ人が経済、文化の中枢を担うというようになった。
 ベルリンの壁 |
第二次世界大戦後、東西の分断が長く続いた。いわゆる「ベルリンの壁」である。これが先年再び統一されたが、現在西暦2000年をめざして首都の整備が盛んに行われていた。
今回の旅行中も、都市の中枢となる地区は建設機のクレーンが林立し、盛んに工事が行われている光景が見られた。まさに、ヨーロッパ最大の「建築現場」といわれている所以である。
また、大戦後の東西冷戦の証である“ベルリンの壁”はあちこちで部分的に記念物のように残されている。撤去されたところでも、昔の壁の跡が道路上に赤い線で表示されていた。
- ベルリン 人口 349万人
- 面積 882平方キロメートル(東京23区と大阪市を合わせたぐらいの面積)
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ベルリンの壁 | 長さ 45km 高さ 3.8m 厚さ 0.15m |
- 「世界文化遺産」に指定。
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