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新緑の「中・東欧」の旅

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4月25日(日)
 今日は、ウィーンの都に別れを告げ次の目的地「ハンガリー」のエステルゴム〜センテンドレ〜ブタペストへと向かった。オーストリアからハンガリーへの国境越えは実にスムーズだった。


「ハンガリー」について
 ハンガリーは、9世紀にウラル山脈の東方からやってきたアジア系の民族によって築かれた国で、1996年で建国1100年を迎えている。13世紀のタタール人(モンゴル人)の襲来、16世紀から150年間はトルコの占領、その後第一次世界大戦まで続いたオーストリアとの領土共有、さらに最近まで続いたソ連の支配などさまざまな歴史がある。

 ラテン系や、スラブ系の国に囲まれており“ヨーロッパに投げられたアジアの石”といわれる。自らを「マジヤル人」と呼んでいる。現在では、混血化が進み、ゲルマン系の白人という感じの人が多い。容貌からアジア系を連想するのは難しいが、自ら自分たちのルーツを誇りにしているといわれ、苗字が名前より前にきたり、赤ちゃんのお尻に蒙古斑があるなど日本人と共通点もある。そうした関係か、日本人に好意的な民族ともいわれている。


ハンガリーカトリック総本山(エステルゴム)
ハンガリーカトリック総本山(エステルゴム)
[エステルゴム](ハンガリー)
 エステルゴムに着いたのは、昼を少しまわった頃であった。

 昼食を済ませてから、ハンガリーカトリックの総本山「エステルゴム」を見学した。

 エステルゴムは、10〜13世紀のアルバード王朝の都である。王宮の丘に建つ大聖堂は、イシュトバーン1世が11世紀に建立したものである。大聖堂の高さは100メートルといわれる。せっかくの機会だからと思い老骨に鞭打って尖塔への登塔を試みた。せまい螺旋階段をほぼ登り、もうあと2mぐらいというところまでのぼりつめたが、気力が無くなり、また時間の余裕もなく断念してしまった。

 エステルゴムの魅力は、鐘楼をもつ古典的な大聖堂である。大聖堂の正面の巨大な列柱と聖堂内正面に飾られた世界最大のキャンパス画(縦13.5m×横6.0m)は必見の場所である。この大聖堂の佇まいは、どの方向から眺めても絵になる光景である。大聖堂と附属の建物などたくさんの光景をカメラに収めた。また、大聖堂の麓には美しいドナウの流れがある。ここら辺りはちょうどドナウ川がオーストリアとの国境になっており、今では両岸を結ぶフェリーの乗り場が検問所となっている。むかしは、両岸を結ぶ橋が架けられていたが、国の分断によって取り壊されており、両岸にわずかに橋の痕跡を残しているのみである。再度、架橋の話が起こってから早くも10年が過ぎたという。両国が再び橋を渡って交流する時代はいつ来ることであろうか?

 エステルゴムから、次の目的地「センテンドレ」に向かった。途中、観光バスの運転手さんの粋な計らいで「ヴィシェグラード」に立ち寄っていただくことになった。


ヴィシェグラード”高い城”328mの山頂
ヴィシェグラード”高い城”328mの山頂
[ヴィシェグラード]
 ヴィシェグラードとは、スラブ語で“高い城”という意味らしい。標高328m、山頂の城は16世紀にトルコ軍によって破壊された。今世紀に入るまでまったく土に埋もれており知られていなかったという。現在、ほとんどが発掘されており、城内には発掘品の展示場がある(時間の都合で、入場は断念した)。まだまだ発掘調査は続けられていくということだ。

 山頂からの眺望を満喫し再びバスに乗った。
 しばらくバスは農村風景の中を走った。センテンドレの町まではそう遠くはなかった。


センテンドレ市内
センテンドレ市内
[センテンドレ]
 「センテンドレ」は、ドナウ川の曲がり角にある。中世からセルビア人を中心に発展してきた町で、まるでメルヘンの世界にタイムスリップしたような町で、小じんまりとしているが美しい町である。

 入り組んだ小さな通りを歩いて行くと、どの方向からカメラを構えても絵になる光景である。小さな町の中には7つの教会と14のミュージアムがある。また、町の民芸品店、アンティークの店を見てまわるのも結構楽しいところである。つい帰りの荷物のことも忘れて、アンティークの水差しを買い求めてしまった。
センテンドレ市内
センテンドレ市内

 町では、観光客用に2頭の白馬が引く観光馬車が走っていた。周囲の風景に実によくマッチしていて美しい光景だった。

 「必見」と言われていた(時間の都合で見学できなかった)「ブラゴヴェシュテンスカ教会」。見どころは、イコノスタシス(聖職者用の内陣と会衆用の外陣を隔てる聖像壁画)にはめられた「イコン」、金色に輝くイコンは宗教美術の世界では高い価値があるということであった。

センテンドレ市内
センテンドレ市内
 また、男性用の入り口と女性用の入り口が設けてあり、男性は前方、女性は後方に座る。所謂る男尊、女卑の形式をとっていることで珍しい。

その間がイコンで仕切られている。外国にしては珍しいことである。

 この町は、今ではアーチストの住む町として有名で、小さいながら気品に満ちた町である。


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