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新緑の「中・東欧」の旅

東欧紀行

 4月末の旅行といっても日本の気候と2カ月の差がある。かなり寒いであろうと覚悟をしていた。それも、旅行地の緯度をみると日本の北海道から樺太ぐらいに位置するからである。

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4月23日(金)
ホテル  関空発朝9時40分。フランクフルト経由で、ウィーン国際空港に到着したのは夕方6時20分(現地時間)であった。空港から市内まで19km、ホテルへは比較的早い時間のチェックインであった。

 夢にもみていたウィーンの都である。「ウィーン」といって想い起するのは、何といっても“音楽の都”であろう。その他、バロックの都、建築の都、森の都など、さまざまなことばで形容されている。また、ちょうど新緑の真っ最中で、マロニエ、ライラックなど、あらゆる植物が花盛りという最高の季節である。

 ここで、オーストリアの概要を調べてみた。人口803万人、面積8万4000ku 、北海道よりやや広い。このうち、ウィーンの人口は約 160万人、オーストリア全土の20%ぐらいを占めている。

 最初の見学地、「シェーンブルン宮殿」に向かった。


マリア・テレジアに愛されたシェーンブルン宮殿(『会議は踊る』で有名)
マリア・テレジアに愛されたシェーンブルン宮殿(『会議は踊る』で有名)
[シェーンブルン宮殿]
 「シェーンブルン宮殿」は、パプスブルグ家の夏の離宮として建てられたものである。その美しさはベルサイユ宮殿と匹敵するといわれる。外観は、マリア・テレジアイエローのクリーム色。内部は1441室という。この数字を聞いただけで、その規模は容易に想像できる。ただし、公開されている部分は40室ぐらいにとどまるようだ。中でも「会議は踊る」で有名なウィーン会議の舞台や、幼いモーツアルトがマリーアントワネットに求婚したという逸話の「鏡の間」が見どころであった。
シェーンブルン宮殿から市街地を遠望
シェーンブルン宮殿から市街地を遠望





 また、宮殿の庭園がすばらしく、庭園をはさんで遠望する景色は、異国情緒を一層かりたてるものである。

 次に、ベルヴェデーレ宮殿の外観を見学へと向かった。


ベルヴェテーレ宮殿
ベルヴェテーレ宮殿
[ベルヴェデーレ宮殿]
 上宮と下宮からなり、2つの宮殿の間に広大なフランス式庭園が広がっている。噴水や芝生、池、花壇などがつくりだすシンメトリックなこの庭園は、19世紀にドミニック・ジラールが建造したものである。

 午後は、ウィーンの森へと向かった。


ウィーンの森
ウィーンの森
[ウィーンの森](半日観光)
 「ウィーンの森」は、ウィーン市内の3倍の広さといわれる。いろいろな観光コースが設けられているが、私たちは修道院や名所旧跡のコースを選んだ。

 静かな住宅街を抜けたところにあるベートーベンハウス「ハイリゲンシュタット遺書の家」に立ち寄った。そして、リヒテンシュタイン城を展望しながら、次はハイリゲンクロイツ修道院を見学した。

ハイリゲンクロイツ修道院(シトー派)
ハイリゲンクロイツ修道院(シトー派)
 「ハイリゲンクロイツ修道院」(シトー派)は、ロマネスク時代に建造されたもので、当初は教義に基づいて造られ質素を旨としていた。しかし、ロマネスク、ゴシック、ルネッサンス、バロックと時代を経ていくうち、次第に華美になっていったといわれる。特に、教会の会長選挙が行われる部屋は美しく、円形のステンドグラス(約100年前に造られたもの)はひときわ目を引く。まさに森の中の聖なる美術品といったところである。

カルメラカティ修道院(ウィーンの森)
カルメラカティ修道院(ウィーンの森)
 峠を越えると、カルメラカティ女子修道院に到着する。前のハイリゲンクロイツ修道院と同じく、質素を旨とし労働に勤しむことを教義としたといわれており、建物の造りも実に質素である。

 この修道院を出てからは、しばらくの間バスは森の中を走り抜けていった。そして、やがてバスはバーデンの町に入った。

 「バーデン」の町は高級温泉保養地であり、またアーチストの街でもある。かつては皇帝や王侯貴族、またモーツアルトなどたくさんのアーチストが訪れたところである。ベートーベンが「第九」を完成させたのもこの地で、その時滞在した家が現在でも残されているという。
ラオエンシュタイン城 荒城の雄姿が美しい
ラオエンシュタイン城 荒城の雄姿が美しい

 バーデンの街までは鉄道が入っており、ウィーンの中心部から約30分で到着する。

 町のすぐ上、急峻な崖の上には「ラオエンシュタイン城」が荒城の雄姿を見せている。また、メイン通りを横断する石造りの水道橋も美しい。アルプスの水を遠くウィーンの町まで引いていた水道橋という。

緑の美しいウィーン市内
緑の美しいウィーン市内
 バーデンの町を過ぎると、広大なぶどう園の続く農村地帯に出る。ワインの生産地で、この町のメイン通りはホイリゲ(ウィーン風居酒屋)が軒を連ねていた。店の入り口に飾られている松の枝は「自家製の新酒ができた」という目印だという。

 昔は、ウィーンからたくさんの市民が自家用車でワインを飲みに来たという。最近では交通事故防止の観点から自家用車での飲酒は禁止されている。したがって、鉄道利用ということになるので、ずいぶん客数が減ってきたということである。

国会議事堂
国会議事堂
 ウィーンの森からは、比較的はやい時間に帰ることができた。夕方の1時間ばかりの間、再びウィーンの旧市街地をリンク沿い(昔、城を敵から守るために敷設した大きな通り)を急ぎ足で散策した。国立オペラ座前から王宮庭園(ここにはモーツアルト像などがある)、勇士の広場、そして新旧の王宮、美術博物館、自然史博物館、さらに北に向かってギリシャ様式の国会議事堂、隣の市庁舎、そしてウィーン大学、ブルク劇場など、バロックの都、建築の都の展示場といっても過言ではない。とにかく、ウィーンの街を外観だけでもと駆け足で観光して回った。

 夜は、ホイリゲでオペラを観賞しながら夕食の一時を過ごした。帰りはワインで心地よい気分に身を任せながら、ライトに映し出された観覧車などを遠望しホテルへ帰った。


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