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新緑の「中・東欧」の旅

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4月26日(日)
 今日から「ブダペスト」(世界文化遺産)の観光に入る。

 ブダペスト(ハンガリーの首都)が、こんな大きなすばらしい都市であるとは想像だにしなかった。

 昔は、3つの独立した町であった。ローマ時代の遺跡が点在する「オーブダ(旧ブダ)」、13世紀以来、王宮が築かれ、一時は中欧地方最大の都市として繁栄した「ブダ」。商業を中心に発展した「ペスト」。この3市が合併して現在の「ブダペスト」となっている。

漁夫の砦
漁夫の砦
 ブダペストになったのは1873年で、その少し前の1849年にはじめてブダ側とペスト側が「くさり橋」によって結ばれた。合併後、ブダペストは飛躍的な発展を遂げ、今では人口が210万人を数え、ウィーンより多くなっている。両地区の間には9本の橋が架かっている。

 ドナウ川を挟んで、ブダ地区は丘陵地が多く緑の中に歴史的建造物がたくさんあり、すばらしい景観である。反対側のペスト地区は平坦で、放射線状に整然と道路が走っている。ビジネス街、官庁街、繁華街、学生街がひしめき合っている。

 ホテルを出発して、まず最初に訪れたのが名橋「くさり橋」である。このくさり橋を渡ってゲレールトの丘に登った。ゲレールトの丘からドナウ川、そしてペスト地区の市街地を一望した。この日は朝靄がかかっており、遠くまでの眺望は困難だった。丘の上一帯は公園になっており、ライラック、桜、アンズ、マロニエ、菩提樹などのみずみずしい新緑と満開の花が私たちを迎えてくれた。

 次に、マーチャーシ教会と漁夫の砦へと向かった。城壁のいたるところに、第二次世界大戦の激しさを物語る無数の弾痕が痛々しく傷跡をさらしていた。


マーチャーシ教会
マーチャーシ教会
[マーチャーシ教会]
 マーチャーシ教会は、1255〜69年に建設された。ネオゴシック様式の教会で、15世紀にマーチャーシ王が80メートルの尖塔を建てたことで有名である。代々ハンガリー王の戴冠式が行われている。教会の中までは見学する時間がなかったが、ベーラ4世と王妃の石棺が安置されているという。

 特に、教会の屋根の美しさが目を引いた。モザイク・スレートの幾何的絵模様が朝日に反映し、実に印象に残る景色であった。
漁夫の砦から市街地を遠望
漁夫の砦から市街地を遠望

 教会の護り「漁夫の砦」は、ドナウの漁夫たちが教会を守るために立て籠ったと伝えられる。実に堅固な砦だったという。長い回廊と白いとんがり帽子屋根のある見晴らし塔が印象的で、ここからの展望もすばらしかった。

 ゲレールの丘を下りて、ペスト地区の観光に入った。英雄の広場、聖イシュトバーン大聖堂などを見学してまわった。ここで、先ほど渡った名橋「くさり橋」について触れておきたい。


くさり橋
くさり橋

[くさり橋]
 くさり橋は、ブダとペスト両地区の統合を願う当時の貴族政治家「セーチェニ公」の尽力によって1849年に架橋されたもので、当時、世界の土木技術の先端を行く英国のクラーク・アダームが設計にあたった。両端の欄干主柱にはライオン像が設置され、橋の見張り番をしている。美しく豪壮な橋である。

 現在では、両地区の間には9本の橋が架けられている。いちばん上流が鉄道橋、続いてアールパート橋とマルギット橋(橋の中ほどから川の中央にある島に入るようにT字型になっている)、そしてくさり橋、エルジェーベト橋、フランツ・ヨーゼフ橋、ペトゥーフィ橋、ラージュマーニョシュ橋、いちばん下流はもう1本鉄道橋となっている。

 午後は、母なる大河=ドナウ川のクルーズに向かった。水上から眺める景色も一段とすばらしく、王宮、くさり橋、マーチャーシ教会、ホテルマリオット・ブダペスト、インターコンチネンタルホテル、国会議事堂などを一望した。川の中のマルギット島(公園)で折り返す、約1時間のクルーズであった。

 下船後、ブダペストの銀座ヴァー・ツィ通りを散策した。ヴァー・ツィ通りの歩行者天国は、ジプシーがいたりするので危険だと注意を受けていた。しかし、歩いてみると実にバラエティーに富んでおり美しい商店街であった。

 そして、19世紀末、文人たちのたまり場だったといわれる「カフェ・ニューヨーク」に立ち寄った。シャンデリアと金装飾の豪華絢爛な雰囲気の喫茶コーナーでコーヒーを注文した。何とその価格安さに二度ビックリ! 実に楽しい思い出の一コマであった。

 夜は、ハンガリーの名物料理グャーシュと民謡「ロマ音楽」で過ごした。


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