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新緑の「中・東欧」の旅

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4月29日(木)
 今日は、プラハの町に別れを告げドレスデン〜ベルリンへの長途の移動である。早めの出発ということで、今日は早起きをした。すると、ホテル一帯が朝霧に包まれており、実に神秘的な光景であった。

 昨日までの5日間、ウィーンからチェコまでの4カ国を案内してくださったバスのドライバーさんとはここでお別れである。このドライバーさんは、4カ国のコースを一度も間違えることなく、正確に、しかも安全に案内していただいた。実にたいした腕前だと感心するとともに、感謝の気持ちいっぱいであった。皆んながドライバーさんと別れを惜しんだ。

 今日から、ドイツへの行程となるので、新しいドライバーさんである。

 プラハのホテルを朝7時10分に出発し、2時間ぐらいで国境越えの検問所に着いた。

ここでは2カ国の検問を受けることになる。検問にはかなりの時間を要した。ドレスデンの町に着いたのは、午前11時であった。

 ここで、ヨーロッパで見かけた救急車について紹介しておく。

 今日まで、各国を巡ってきた中で交通事故の現場というものをまったく見かけなかった。

ヨーロッパはドライバーの技術がいいのか、運転マナーがいいのか、それとも道路がいいのか(すべてのところが立派な道路であったとは思わないが……)。本当に不思議としかいいようがない。

 ただ、前日だったかプラハの町で救急車を2回ほど見かけた。救急車の色は黄色、回転灯は青だった。ところが、田舎(市外)から入ってくる救急車は、車体は白色と定められているということだ。(ヨーロッパの国がすべてこのようになっているかどうかは定かではないので、悪しからず。)


ドレスデン市内
ドレスデン市内
ドレスデン(旧東ドイツ)
 ドレスデンは、新生ザクセン州の州都で人口約52万人、旧東ドイツで3番目に大きい都市である。かつては「エルベ川のフィレンツェ」と呼ばれたぐらいきれいな町である。

 この美しいバロックの都も、1945年2月13〜14日の両日、米英空軍の爆撃によって灰塵に帰してしまった。また、この爆撃は3万5000人以上の人々の命を奪ったという悲しい歴史をもっている。

 今回、この爆撃の中心地を訪れた。現在でも爆撃のものすごさを物語るように崩れたままの建物が残り、幸いに爆撃を免れた建物も壁は真っ黒、屋上の聖人像も真っ黒という痛ましい姿をさらけ出している。現在、盛んに再建と煤けて汚れた建物の清掃が行われているところだった。悲しい歴史を知る上では、いい時期に旅行ができたと思っている。

 まず、城とブリュールシェ・テラスのある広場に入った。


[レジデンツ城]
 レジデンツ城は、現在修復中だったが、その奥に高さ130メートルの美しい塔がそびえている。王は、この塔より高い建物は作らせなかったこともあり、今でも、町のシンボルになっている。


ブリュールシェ・テラス マイセン陶器25,000枚長さ100mの大壁画
ブリュールシェ・テラス マイセン陶器25,000枚長さ100mの大壁画
[ブリュールシェ・テラス]
 ゼンパーオペラの東側にサクセン王の居城がある。その城のアウグスト通り側にある壁に有名な「君主の行列」の壁画がある。1123〜1904年のサクセン君主時代を飾った君主、芸術家など総勢93人が描かれている。この絵はすべて陶板でできており、有名なマイセン陶器が2万5000枚使われている。幸いに、この壁は奇跡的に戦災を免れていた。

 この聖人の中に、アウグスト2世の画像(ちょうど中央)がある。強王と謳われ、365人の子どもがあったという。マルクト広場にも、このアウグスト2世の黄金像が輝いている。


ツビンガー宮殿の堀川
ツビンガー宮殿の堀川
[ツヴィンガー宮殿]
 ザクセン王国「アウグスト強力王」の時代(1709〜28年)に建てられたバロック様式の宮殿で、第二次大戦で焼失したが戦後20年かかって復興された。

 ドレスデンのシンボル的存在で、中庭が美しくコンサートなども開かれるという。宮殿内に陶磁器博物館と絵画館がある。時間の都合上絵画館だけを見学した。

 その他、オペラ座(デンパーが1816〜26年に建設)、美術館(屋上に戦禍で黒くなった聖人像が並んでいる)、エルベ川の向こうには州政府庁舎、大蔵省庁舎などが見える。

 町に入ったとき、再建途上の「城」の工事現場の脇を通った。これも戦禍で破壊されたところであるが、工事現場には大きな石の塊(3〜4m四方)が何個も置いてあった。これは壊された建物の一部で、これがどこの部分であったかを割り出し、工事の中で要所要所にはめ込んで古いイメージを残していくとのことであった。新しいものを造るよりもたいへん手間のかかる話であるが、文化財を大切にする心があるからこそ、このようなことが実現するのだと思われた。見習うべきことかもしれない。

 ドレスデンの町を後に、マイセン陶器の工場見学に向かった。マイセンの町は、ドレスデンから西へ約30km、エルベ河畔の町である。しかし、今度のドライバーは地理が不案内なのか、行けども行けどもマイセンの町は現れてこない。やっとのことで陶器工場に着いたが、すでに午後5時30分。工場はすでに閉まっていた。

 やむなく、再びドレスデンの町に引き返し、今晩の宿泊地ベルリンへと向かった。ここでも観光バスのドライバーさんは道がわからなくなり、途中からタクシーの先導を受けてやっとホテルに到着するというハプニングがあった。ホテルに到着した頃には、すでに夜の10時を過ぎていた。


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