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8月 3日(月)
「リマ」(ペルーの首都)
8月 4日(火)
大統領官邸見学
8月 5日(水)
インカ族の歴史、文化の宝庫「クスコ」へ
8月 6日(木)
謎の空中都市「マチュピチュ」へ
8月 7日(金)
ナスカの地上絵見学
8月 8日(土)
サンパウロ市へ
8月 9日(日)
島根県人会交流センターの竣工式
8月10日(月)
リオデジャネイロへ

8月4日(火)大統領官邸見学

アルマス広場(教会前)
アルマス広場(教会前)
 ペルーは人口約 2,300万人、面積128.5万平方キロメートル、日本の約 3.4倍の広さの国土である。その首都が「リマ市」である。

 午前中は、フジモリ大統領の妹さん(有富駐日ペルー大使夫人)に大統領官邸を案内していただくことになった。

シェラトンホテルから少し北に行くと、サンマルチン広場(1921年、ペルー独立 100周年を記念して作られた広場)、さらに少し北東に行くと大統領官邸がある。官邸のすぐ横に「アルマス広場」、この広場を囲んで中央寺院、サンフランシスコ教会、ピサロの像などここら辺りがリマの中心地である。官邸の見学が午前中だったのか、内部は実に静かであった。また案内いただいたのがフジモリ大統領の妹さんであったためか、普段は開放されていないところまでくまなく見学させていただくことができた。

官邸内部は、美しい宮殿建築で華麗なインカの文化を堪能することができた。この、大統領官邸もフジモリ大統領の時代になってから「開かれた大統領府」ということで広く一般に公開されている。当日もお昼前頃になると学校の生徒や市民の方等たくさんの見学団とすれ違った。また、見学に来た子どもたちには、エンピツやパン等が振る舞われることも、市民の好感を得る要因の一つになっているようだ。
官邸の大会議場
官邸の大会議場

丁度、お昼の12時になり、官邸の儀じょう兵の交替式に出合った。金モールで飾った赤い服に長靴といったオモチャの兵隊が箱から飛び出したような珍しい光景も見学することができた。この時間は、たくさんの市民も官邸前の道路に来てフェンスの外からこの様子を見学していた。お昼は、太平洋岸にあるシーフードレストラン「クロサナウテカ」に入った。海岸から100メートルばかりの桟橋を渡って行く海上レストランで、ここからの眺望は素晴らしく、甘いピスコサワーに騙されて皆すっかりいい気分になった。

 ペルーは、一昨年の日本大使館襲撃事件以来危険な国との印象が強いが、これは特殊な地域がそうであって、一般的には想像するほどのこともないように見受けられる。だが、貧富の差が大きい国では危険は常に覚悟しておかねばならないようである。ちなみに、ペルーでは国民の8割という圧倒的多数が貧困階層、即ち定職のない階層といわれている。

 ちょうどこの日は労働者のデモが行われていたが、ただ労働者が集まったというだけでプラカード、マイクスピーカーもほとんどなく静かな集会風景である。

私たちの宿舎、シェラトンホテル(ペルーの超一流のホテル)一帯は昔の都心にあたる位置にある。ホテル前は、堂々たる裁判所の庁舎があり、伝統的な建物が見受けられる街区である。しかし、今では危険地帯のレッテルが貼られている地区でもある。

 午後は、リマ市内から少し太平洋岸へ出たところにある「天野博物館」を見学した。この天野博物館は、事業家・故天野芳太郎氏のコレクションによるもので、実に素晴らしい内容の博物館であった。展示物は、土器と織物が中心で、その一部を紹介すると土器の素晴らしさである。紀元 400年頃既に五彩の絵を描いて焼き上げている、唐三彩よりも 300年も古い時代といわれている。展示物の全てが造形美、色彩、精巧さに優れ、これが土器なのかと目を疑いたくなる。

古代ペルーの土器は、紀元前1500年から2000年の間の物といわれるが、その最古の土器が作られる以前から神殿建築が始まっていたといわれる。展示してある装飾のある土器は祭祀に使われていたもののようである。中でもチャビン文化の土器が特に素晴らしいと いわれている。

 織物では、彩り(いろ)、紋様、織り方(絽織り)等、1000年前からこのような技術が取り入れられていたようである。しかも、これらの出土品が、まったく原形に近い形で出土しているのも不思議である。これは、雨期のない(年間雨の日は2日ぐらい)太平洋岸の砂漠地帯だから、こんな現象が起こるとのことである。また、古代人は文字の代わりに結び紐を使用(情報伝達の方法)したといわれる。今日のコンピュータの「プロトコル」なのかもしれない。

 帰り道、例の襲撃事件のあった日本大使館跡に行って見たが、今は塀のみが残っている。将来、公園に転用されるとか聞いたが、あの忌まわしい不幸な事件は、そうしたことと全く無縁の閑静な住宅街の真中での出来事であったようだ。

 夜は、ペルー島根県人会の方々との懇親会が行われた。会場の「レストラン・ダンダン」は、大社町出身の板垣典行さん経営の店であった。来年(1999年)ペルーも移民100周年に当たるとのことで、各地で記念セレモニーが予定されているようである。
店主の板垣さんは最近移民された方で、大社高校時代は高校球児として甲子園に出場した経験の持主とのこと.....。実に堂々たる体躯の持主である。美人の奥さんは100周年に合わせておめでたの様子であった。料理は、全て板垣さん夫妻の手によるもので、とても美味しかった。特に南米産の「ガラナディヤ」(外形はザクロ、中味はアケビの実のような果物)、大きな「ナタ豆」様のものなどみんな初めて口にするものばかりであった。

 県人会のみなさん方からの説明によると、リマは人口 600万人、島根県人会は約80世帯位とのことである。移民当時は筆舌につくせないたいへんな苦労と努力があったようだ。その結果が、今日の日本から移民された方々の地位であるとのこと。当時「スペイン語しか通用しない国」で大変苦労したとのこと。移民後、日本人がまず最初に手掛けたのは子弟達のスペイン語の教育であったと.....。現在では、日本から移民されたたくさんの二世、三世の方が政治、経済、教育、医師等、さまざまな分野で活躍されているとこのことであった。

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