++++ 世界旅トップページ ++++
南アフリカ紀行

トップページ 8月25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日 後感

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

テーブルマウンテン
雲に浮ぶテーブルマウンテン。海抜1067m
8月27日(月)

 昨日、天候が悪くテーブルマウンテンへの観光を断念したので、今朝は少し早めにホテルを出発し山に向った。

 今日のガイドは、「ベンさん」に代った。ベンさんは、日本生れの日本育ち、40年間日本で生活してきた方である。案内は要領がよくわかり易く実にラッキーなめぐり合せであった。

 今日も、天候が悪ければテーブルマウンテンは諦らめなければならない。―― 街は、濃霧に覆われている。今日も登頂は駄目かもしれないと思った。しかし、山の中腹ケーブルカー駅に到着して見ると山の上は晴れている。雲海の中に浮び上っている景色は全く水墨画の世界だ。雲海の中から笠松の老木が頭を出し実に素晴らしい景色である。

ライオンヘッドの秀峰
ライオンヘッドの秀峰669m
 ケーブルカーで頂上に登った。海抜1067m、山頂はわずかの面積であるが平地になっている。下界を見おろしながら頂上を一周した。山頂には、下界より少し時期遅れの亜熱帯性の植物が花をつけ登山者たちの目を楽しませてくれた。

 また、ハチドリ、ムクドリ(ムクドリは日本のものより少し小型で、赤い差羽をもつおしゃれな鳥)、ハイラックス(狸ぐらいの小動物、象の仲間)も、人前に遠慮なく出てきて愛嬌をふりまいていた。


アロエの花
アロエの花が真盛り
(テーブルマウンテン頂上)
テーブルマウンテンの花
テーブルマウンテンの花
カラスの仲間
カラスの仲間
ハイラックス
ハイラックス(象の仲間)

アザラシの大群
ドィカー島のアザラシの大群
 山頂での時間は僅かだった。下山する頃には、最初登ってきた辺りからガスが立ち込めてきていた。遠来の客に、天与の景観をつくってくれたのだと思った。

 下山後、ケープ半島の観光に向った。

 街角のあちこちで男たちがたむろし通る車に手を振っていた。男たちは、職(働き場)を求めてアピールしているところだといった。

 しばらく車を走らせると小さな港町(ホウト湾)に出た。ホウト湾から20分ほどの沖合、ドイカー島に生息するアザラシ群の見物である。

ミューゼンバーグ
大西洋が打ち寄せる波が美しいミューゼンバーグ サーファーに人気
 小さな岩礁に黒くなるほどアザラシが寄り集っていた。観光船は、岩礁を一周しアザラシたちの動きを観察させてくれた。

 下船後、ミューゼンバーグの美しい海岸を車窓にしながらボルダーズビーチに向った。

アフリカペンギン
ひょうきんな格好のアフリカペンギン(灰色は子供ペンギン)
 ボルダーズビーチには、小型のアフリカペンギンが可愛らしい格好をしながら浜辺を歩いていた。総数にして、3,000羽ぐらいいると聞いた。道端の木立ちの中では子育てに懸命の親鳥たちも見られた。昼食は近くのレストランでボブスター料理を楽しんだ。

 午後は、ケープ半島のハイライト喜望峰とケープ岬に向った。専用車は、ケープ半島の自然保護区の中を進んで行った。世界の植物の宝庫といわれるアフリカは2万2千種の植物があるという。そのうち、南アフリカに40%近い8550種が自生する正に“花の楽園”である。

 緩やかな丘陵地に、樹木なのか中間木なのか、薄緑色の潅木がやわらかい感じで樹海を形成している。これらの植物が開花する時期は、実に素晴らしい景観を呈するであろうと思った。

喜望峰も様々な植物がいっぱい   喜望峰も様々な植物がいっぱい   喜望峰も様々な植物がいっぱい
喜望峰も様々な植物がいっぱい

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

<喜望峰の歴史について>

喜望峰の灯台から見る大西洋
喜望峰の灯台から見る大西洋
 昔は、ヨーロッパとインド・中国への交流は陸路(通称シルクロード)に頼らざるを得なかった。だが、陸路では様々な困難と危険がある。そこで、ヨーロッパ人が考えたのは大西洋を東回りに進んで行ば、インドへ到達するではないかと考えた。

 最初、1488年にポルトガルのバルトロメウ・デイアスが航路の発見に成功した。その後。1497年ヴァスコ・ダ・ガマも航海に成功した。

アフリカ最南端ケープ岬
アフリカ最南端ケープ岬
 南アフリカの喜望峰岬沖は、大西洋の寒流と、インド洋の暖流が交わる地点であり、航海の大変な難所“嵐の岬”である。このような中で航路の開拓はヨーロッパ人にとって画期的な出来事であった。―― ポルトガル王ジョアンニU世は“ポルトガル国民に希望を与える”ということから、この地を「喜望峰(Cape of Good Hope)」と命名したといわれる。

 この2人の偉大な功績を称え、喜望峰自然保護区の丘に記念碑が建てられていた。

 その後、コロンブス(イタリア生れ)は、大西洋を西回りでもインドに到達できるのではと考えた。1492年にアメリカのサン・サルバドル島に到着しそしてジャマイカに渡った。この時、コロンブスは“ここがインド”と勘違いしたという逸話がある。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

野生のダチョウが散歩する
野生のダチョウが散歩する
 喜望峰の近くには、野生のダチョウ(オーストリッチ)が悠然と闊歩していた。昔、ダチョウは大変貴重な動物で、ダチョウの羽1gが金1gに匹敵する価値があったといわれ、ダチョウ飼育で御殿が建ったという時代もあった。

 このほか、岬一帯には、バブーン(ヒヒ)、シマウマ、マングースなどが生息しているといわれるが生憎この日は見かけることはなかった。

 喜望峰(海抜248m)には昔の灯台がある。この灯台は霧で見えにくいことが多かったため、1919年ケープポイント(海抜87m)岬の突端に新しく建設された。アフリカ海岸で最も明るい灯台といわれる。

シグナルヒルからの夜景
シグナルヒルからの夜景(ケープタウンの街)
 ケープタウンに帰ったのは夕暮れ時であった。

 夜は、シグナル・ヒル(標高350m)に登り、ケープタウンの夜景を見物した。ネオンサインのない赤色灯だけの夜景もまた格別であった。

 「シグナル・ヒル」正式名称は「ライオンズ・ランプ」という。今朝テーブルマウンテンから眺めたライオンズ・ヘッドの海側「Rump」=「尻」に当る部分である。昔は、航路を知らせる砲台が置かれ、沖合いを航海する船舶に位置を知らせていた場所である。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *

トップページ 8月25日 26日 27日 28日 29日 30日 31日 後感

++++ 世界旅トップページ ++++