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魅惑の大地「モロッコ」への旅

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12月5日(火)

フェズの街並
フェズの町並
今日は、フェズ市内の見学である。フェズの見どころはなんといっても、迷宮都市メディナである。王宮の建物をめざして進んでいくと、メディナに到着する。フェズ・エル・バリは1,000年の昔にタイムスリップしたようである。城壁をめぐらした内側には、石畳の無数の路地が網の目のように延びている。上ったり下ったり、行ったり戻ったり、その中には、スークと呼ばれる商店街のほか壮麗なモスクや神学校もある。2mばかりの狭い路地は車が入れないので、荷物の運搬は専らロバや馬を使う。ロバが荷をいっぱいに背負って人々をかき分けて進んで行く。迷子にならないように、4〜5人のグループに分かれてスークの中を案内してもらった。

必見は、皮革のナメシ工場で、その工場の3階にある皮革製品を売る店の3階ベランダから工場と町の様子を拝見させてもらった。無数の革の染色壷が整然と並んでおり、その間を革職人たちが行ったり来たりしながら作業をしていた。むせかえるような鞣革(ナメシ)の臭いが辺り一帯を包んでいた。

次に「フェズ・エル・ジェディド」(新しい街)に行って陶器工場、しんちゅう細工の店などを見学した。

フェズの迷宮都市
フェズの迷宮都市(町の中には水汲井戸もある)
皮製品を売る美女
皮製品を売る美女
銀製品を売る店
銀製品を売る店
精巧な彫金をする職人さん
精巧な彫金をする職人さん
皮革のナメシ工場
皮革のナメシ工場
  モロッコの陶器工場
モロッコの陶器工場

フェズの街

メディナの中
メディナの中は狭い通路、そして上がったり下ったり−荷物の運搬はロバか馬で
  メディナの街並
メディナの街並
フェズは、イスラム王朝の都として栄え、モロッコで一番古い街である。ムーレイ・イドリス1世が8世紀末にバクダッドのイスラム王朝に反乱を企てたが失敗する。しかし、ベルベル人に信頼の厚かった王は、再び王朝興しを進め成功する。そして808年、その息子ムーレイ・イドリス2世によってフェズ川の西岸に新しい都市を建設する。

また、最近ではデスカール・デスタン大統領が兵役を過した街としても有名である。

南カスバの丘には古い砲台もある。

ウダイヤ地方
ウダイヤ地方に入ると雨や降雪もある−従って豊かな農業地帯となる
午後は、遠くに聳える冠雪した大アトラスの雄姿を眺めながらメクネスの街に向った。

メクネスの街は、大西洋岸に近いところで標高も500m余り、果樹園やオリーブ園のある農業地帯である。気候の良さと水のおいしさでも有名である。
カスベ
カスベ

メクネスが最も繁栄した時期は、17世紀アラウィー朝のムーレイ・イスマイルの時代である。ユネスコ世界遺産にも登録されている街である。

マンスール門の前で一時下車し写真を撮った。昔は、残酷な処刑が行われたところのようで、宮殿に黄色い旗が揚がると、住民に処刑を知らせる合図であったという。罪人を縦に切り割いたともいわれている。

次の目的地、ラバトに着いたのは夕方近くであった。

ラバトの川向いにサレの街がある。17世紀にムーレイ・ラシットによって築かれた街で、ウダイヤのカスバという赤茶色の建物が聳えていた。ウダイヤ博物館やウダイヤ庭園もある。(車窓見学)

ムハンマド5世霊廟

霊廟入口には、真紅の衣装をまとった衛兵が乗馬して門衛をしていた。

1961年に没したムハンマド5世を祀るため1973年に完成させた霊廟である。モロッコの伝統的建築技術と彫刻が美しい霊廟で、中には白い石造りの棺が2つ安置してある。中央がムハマンド5世のもので、もう1つはムーレイ・アブドゥラー王子(ムハマンド5世の弟)の棺である。

美しい天井
ムハンマド5世の霊廟を飾る美しい天井
  ムハンマド5世の霊廟と宮殿(建設が中止された)広場の一角
ムハンマド5世の霊廟と宮殿(建設が中止された)広場の一角

ハッサンの塔

ハッサンの塔のある宮殿
ハッサンの塔のある宮殿
ムハンマド5世の霊廟と同じ敷地内に、未完のミナレットがある。1195年ムワヒド朝のヤーコブ・マンスールがモスクの建設に着手したが、彼が死亡したため工事は中断された。高さ88mの塔を建設する予定であったのが44mで止っている。広場に並んだ列柱もローマから石材を運んで来て建設に着手したが、これも中断されたままとなっており、高さ4〜5mの石柱が整然と並んでいた。

ラバドを出発したのは既に日暮れ後であった。これから最終目的地カサブランカまで2時間ぐらい”白い家”カサブランカに到着したのは夜の8時前であった。11月29日にカサブランカを出発してから、再びカサブランカに帰着するまで1,500km余りの道程である。モロッコをほぼ一周したことになる。途中、各地の観光地に寄り道をしているので、これらを加えれば、2,000kmに近い長いバスの旅になるであろう。

モロッコ各地で原住民の機微にふれることができた。そして、大アトラスの裏表にくり広げられる雄大な大自然を十分に堪能することができた。

しかし、この広大な砂漠の中、またアトラス山脈の厳しい大自然の中で、ぎりぎりの生活を強いられている人々がいることは忘れ難いこととして脳裏に残った。

最後に、ガイドのモリワケ氏、そして長距離を愉快に、そして安全に運転していただいたドライバーさんたちに深く感謝申し上げたい。

おわり

2000年12月 長岡 栄 記

<追記>
この紀行文は、ガイドの説明を基に構成したので、聞き誤り等のあることをお許し願いたい。なお、参考文献とし「地球の歩き方」(11)モロッコ編を参考にさせて頂いた。

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