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魅惑の大地「モロッコ」への旅

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12月1日(金)

マラケシュの街は、背後のオート・アトラス山脈(3,000〜4,000m級の山脈)と、南のサハラ砂漠の中間地点にある。ベルベル人による最初のイスラム国家で、11世紀後半ムラービト朝(アルモラヴィト朝)が建国し、フェズに次ぐ古い街といっていた。

1269年、首都がフェズに移り一時衰退したが、15世紀半ば、サアード朝(サーディン朝ともいう)が、再びこの街を首都に定め繁栄した。長い間、政治、文化の中心地であったため、この街は底知れぬ魅力が秘められていた。

クトゥビアの塔
クトゥビアの塔(マラケシュ市内)
最初に、メナラ庭園に行った。庭園は街の中心から2km位のところで、周囲をオリーブ林に囲まれた緑の美しい場所である。

この、オリーブの森には物騒な伝説がある『いらなくなった妻を始末するところ』。車内の誰かが「そりゃ・・・主人ではないの・・・。」と女性の元気のいい声が聞こえた。

庭園は、12世紀のムワヒド朝時代に造られたもので、中央に200m四方の大プール、その横にパビリオンがあった。

再び街に帰ってクトゥビアの塔(12世紀に建立)に行った。マラケシュのシンボルで、市内どこからでも見える。「クトゥビア」とは「本屋」という意味で、この附近は本屋さんがたくさんある街だったようだ。塔の四面にはそれぞれ異なった装飾が施されている。

マラケシュの街は、建物が全て(民家も同じく)レンガ色で統一されている(法律で定める)。道路も、自由の広場を中心に立派な都市計画道路が整備されている。通りの名称に、ケネディ大統領通り、フランス通り、国連通り、ハッサン2世通り、ムハンマド5世通りなどの名称が冠されている。特に、フランス通りは中央に分離帯のある街路樹の美しい立派な通りであった。

バビーヤ宮殿
バビーヤ宮殿
精巧な装飾が目を引く
街の中心に、建設工事中の建物(劇場)があった。工事が開始されてから15年が経過したが、未だ完成に至ってないといっていた。

次に、バビーヤの宮殿と、サアード朝の墳墓群に行った。バビーヤの宮殿は、大邸宅の周囲に庭園をめぐらした環境の良いところである。愛妻用の個室が両側に並んでおり、中庭の奥の建物は4人の妃と24人の側女の部屋がある。どの建物も、壁や柱の彫刻、そして彩どり鮮やかなタイル、アトラスシーダ材の天井絵が目を奪うように美しく造られていた。

精巧な天井の装飾
精巧な天井の装飾
サアード朝墳墓群は、宮殿のすぐ近くにあった。

サアード朝(1554〜1659年)の代々にわたるサルタンが葬られている。長い間入口が塞がれていたため謎に包まれていたが、1917年空から発見され明らかになった。第1〜第3の部屋に区切られ、美しい装飾で飾られていた。

この墳墓群の入口近くには、馬蹄型の立派な石造りの門「アグノー門」がある。昔は、処刑された罪人のさらし首を行った場所のようである。

午後は、メディナ(スーク)と、ジャマ・エル・フナ広場(大道芸人の広場)を見学に行った。

ラクダの皮を張った装飾ランプ
ラクダの皮を張った装飾ランプ
アグノー門の近くでバスを降り、メディナの見学に行く途中で写真を撮っていると、若い女性達の奇声が聞こえてきた。振り向くと、レンガ造りの壁のところで5〜6人の女学生達が集り、笑いながら手招きしている。写真を撮ってもいいか?とカメラを向けると、クモの子を散らすように逃げ出してしまった。立ち去りかけると、また集って奇声をあげながら手招きをしている・・・・。人生の峠をとっくに過ぎたオジンをつかまえて嘲斎坊に・・・・と、一行の列に遅れないように走って行った。

モロッコ人は、案外美形の女性が多い。日本のギャルのように、茶髪、青髪、ガングロなどの勇ましい女性がいないのが素朴で清々しい・・・・。

スークでパンを売る婦人
スークでパンを売る婦人
マラケシュのメディナは、世界最大といわれている。細い路地が網の目のようにめぐらされ、両側にはところ狭しと店が並んでいる。雑踏の中、みんなと離れないように歩いた。

メディナを出ると、ジャマ・エル・フナ(大道芸の広場)がある。昔は”死者の広場”と云って公開の処刑場だったというが、今は”芸術家たちの広場”と呼ばれている。小学校の校庭ぐらいの広場いっぱいに種々の大道芸が繰りひろげられる。丁度ラマダンの期間中で人の出が少なかったが、市民は日没頃から集ってくるだろうといっていた。

大道芸人
大道芸人
広場を歩いていると、婦人たちが近寄ってきて「ヘンナ」を奨める。「ヘンナ」という植物から採った染料で手に模様を描いてくれる。暫くの間放っておくと、皮膚に染料が染込んでくる。1〜2週間ぐらいは洗っても落ちないらしい。モロッコでは、「ヘンナ」をすると「平和の使い」といって、魔除けのまじないになるといわれている。

昨夜は、ホテルのお嬢さんが「ファティマの手」のペンダントをプレゼントしてくれた。このペンダントは、イスラムの預言者ファティマの手を形どったもので護符の一種だそうだ。― これで無事に旅行を終えることができるのかもしれない ―とファティマのペンダントを首にかけて旅を続けた。

大道芸人広場
大道芸人広場
夜は、民族舞踊と騎馬隊のショーを見学に出かけた。

寒いとのことで、ずいぶん覚悟して出かけた。民族舞踊はテントの中のディナーショーだったので暖かかった。太鼓とブンディール(タンバリンの一種)、ルバーブやゲンブリ(弦楽器)を奏でながら、ベルベル人の男女が胸や腰をふりながら躍って見せる。

そして、次は騎馬ショーの見物に出かけた。ショーは屋外である。旗手が馬上から射撃したり、走る馬上から身体を大きく横に傾け、地上に落ちたハンカチを拾いあげるなど大変なものである。案内の通り、モロッコの夜は実に寒い。一番高い土塁の上で座って観賞していたが、あまりの寒さに睡魔が襲ってくる。隣席のNさんも、眠気で”ツンのめりそう”といっていた。

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