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魅惑の大地「モロッコ」への旅

陽の没する大地”モロッコ”、世界の中でも何か未知の魅力を感ずる国である。20世紀のしめくくりの旅にと、スケッチの先生方に同行し出発した。(主催:(株)山陰中央トラベル)

モロッコは、北緯30〜35度、日本の中部〜九州に位置する。四季の変化があるといわれているが、果して寒いのか暑いのか想像がつきかねる。とにかく、1日の気温の差が20℃を超えるというからかなり大変のようである。

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11月29日(水)

関空から、空路アムステルダム(Schipol空港)に向った(所要約12時間)。アムステルダムに到着したのは14時25分。次のモロッコ行きの便まで、約5時間の待機時間がある。早速、入国手続きを済ませてアムステルダムの街に出た。アムステルダムの街を案内してくれたのは、ドロタ氏(ポーランド女性)であった。

アムステルダムの「Schipol空港」は、さすがヨーロッパの主要空港である。成田空港の3倍、しかも現在拡張中で完成すると現在の2倍(成田空港の6倍)、世界3番目の大空港になるといっていた。日本も早く国際空港を整備しないと、世界中から取り残されてしまうのではと思った。

オランダ南アムステルダム公園
オランダ南アムステルダム公園
オランダを現地では”ネーデルランド”(低い国、低い土地)というらしい。スキポール(Schipol)空港の「スキ」は船、「ポール」は地獄で、落し穴という意味らしい。ユニークというか無気味というか・・・・。

オランダは干拓でできた国で、国土の25%が海面下である。アムステルダムの標高もマイナス7mという海面下の都市である。風車のある街、川のある街の感覚だけでも頭に入れておこうと街に出た。丁度、今年が干拓が完成して120年(風車で排水を開始してから150年)の記念すべき年であると云っていた。

オランダは、人口1,500万人弱、アムステルダムの人口70万人弱。排水に使った風車は現在4カ所しか残っていないそうである。また、堤防を築いて国土を守っているからか、街の名前に「ダム」の名がついているところが非常に多い。アムステルダム、ロッテルダム、スヒーダム、ザーンダムなどの名前が干拓の国であることを示している証しなのかもしれない。

最初に、南アムステルダムの風車とレンブランドの銅像のある公園に行った。広い水辺のある公園で水鳥の群れが水面を静かに泳いでいた。オランダ人は動物を大事にする国で、公園と牧場が一緒になっているのもオランダらしい風景である。

ダンシングビルが立並ぶアムステルダム川岸の街
ダンシングビルが立並ぶアムステルダム川岸の街
オランダの黄金時代は17世紀頃であったといわれ、街にはこの頃に建てられた古い煉瓦造りのビルが水路(濠)の水際いっぱいに、張り出して建っている。干拓地で地盤が悪いのか、古いビルが思い思いに傾いている。オランダ人たちは、これを称して「ダンシングビル」と呼んでいる。水路には、ボートハウス(水上生活者の家)がところ狭しと繋がれている。われわれはボート生活者といと、低階層の人たちと思いがちだが、オランダでは”お金持ちの人”がボートハウスに住んでいる。家賃50〜80万リラ、電気、水道、ガスの設備も備わっているという。

市民の願望は、(1) マイホーム、(2) マイカー、(3) バカンス(旅行)だそうである。税金は非常に高く(ヨーロッパは通例)所得税40%、消費税17.5%。2001年から消費税が19%になると云っていた。

専用バスは、白いマヘレのハネ橋、レンブランドの家などを車窓にしながら王宮のある広場まで行った。僅かな自由行動の後、古風なレストランで夕食を済ませ、再びスキポール空港に帰った。

オランダは、北緯50度(日本の樺太あたり)、モロッコよりもかなり北に位置するので、夜になるとずいぶんと気温が下がってくる。

スキポール空港発(9時)のモロッコ(カサブランカ空港)行きの飛行機に乗った。3時間余りでカサブランカ空港に到着、ホテルにチェックインしたのは午前零時を過ぎていた。

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