3月27日(火)

デリーの街 コブラの芸を演ずる老人
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今日は、いよいよ最後の行程となる。
8時半にホテルを出発し、デリーの街まで260km、約5時間の自動車による移動である。ドライバーのおじさんは、25日以来連日の運転でたいへんだろうと思ったが、今日はターバンも昨日までの赤からブルーに替えてはりきっている。
ガイドのカンさんが、インドの運転免許制度について話してくれた。免許は、金額によって年数が決まる。事故を起しても、罰金で処理されるので決して免許停止になったり、失効したりなどはしない。終生免許を取得することができるようである。

インド門(高さ42m) 第1次大戦で戦死した兵士9万人の慰霊碑
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ちなみに、ガソリン代は、1リットル:80円(日本円)という。他の物価と比較してみると、たいへんに高価なものである。したがって、燃費のよい車を探さなければ車の維持がたいへんとのこと。
自動車は、昨日観光した風の宮殿前を通った。早朝のため、バザール通りも昨日のような雑踏はない。道路の脇では、住民が草を持ってきて野良牛に与えている。こんな情景は、はじめて目にしたが、野良牛といえども牛は神様なのでみんなが餌を与えてかわいがっているのだと思った。ちょうど、観光客を運ぶ象たちが“出勤”する時間に出会った。巨大な体躯をゆすりながらゆっくりゆっくりと歩いていた。象たちは慣れたもので、使者の男たちは背中の台の上で寝ていても、ちゃんと目的地にたどり着いてくれるそうである。
デリーの街に到着したのは午後1時過ぎであった。今日の観光は、インド門(第1次大戦で戦死したインド兵士9万人を祀った慰霊碑、高さ42m)、ラージ・ガード(インド独立運動を導いたマハートマー・ガーンディーを火葬にしたところ)、フマユーン廟(フマユーンの妃が1565年に建立した廟)、クトゥブ・ミナールなどを見学して回った。

ラージ・ガード (マハートマ・ガーンディーが火葬されたところ)
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ラージ・ガード 中央の囲いの中が火葬の台−供花が見られる
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フマユン廟 ムガール帝国第2代皇帝フマユンの廟
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クトゥブ・ミナールには、基部の直径14.5m、高さ72.5m、5層の塔がある。下から3層までは赤い砂岩で造られ、4〜5層は、色の変わった大理石と砂岩でできている。この塔は、スルタン・クトゥブ・ウッディーン・アイパクが、ヒンドゥー教徒に対する勝利を記念して建設にとりかかった。アイパクは在位4年(塔は未完)でこの世を去ったが、後継者が増築して現在の姿になったというから、構造の異なる4〜5層は後継者の代に建設したのかもしれない。以前は内部のらせん階段を伝って登れるようになっていたらしいが、修学旅行生の事故があって以来、登塔が禁止されている。また、ガイドブックによると、飛行機事故に遭って現在の高さになったとも記されている。最初は100mの高さだったともいわれている。
塔のすぐ脇の「クワットゥル・イスラーム・モスク」が美しい。インドに初めて造られたモスクと言われており、破壊したヒンドゥー寺院の石材を使って建立したものである。柱1本1本に施された細かな彫刻が見どころである。
敷地のすぐ北に、アラーイーの塔の基部が巨大なチョコレートケーキのように残っている。クトゥブ・ミナールの塔より高い塔を建てようと計画されたが、王の死により実現しなかったという。
観光の全日程を終えたころには、夕暮れの時間となっていた。空港で荷物調整をして早速帰国の搭乗手続きに向かった。
3月21日の夜から今日までの7日間、インド北部主要地点をトライアングルのように結んで回った。ガイドのアシブ・カンさんには懇切ていねいに案内していただいた。改めて感謝を申しあげたい。
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