
タージ・マハルの入口。壮大な門である。
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3月25日(日)
今日の観光は、タージ・マハルとアーグラー城である。
アーグラーの街は、人口160万人の地方都市で、デリーと比べると静かな都市である。

愛妻ムムスターズ・マハルの死を悼み建立したもの
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最初、タージ・マハルに行った。
タージ・マハルは、ムガル第5代皇帝であったシャー・ジャハーンが王妃のムムターズ・マハルの廟として建設したものである。世界各国から、膨大な量の貴石を取り寄せ、22年の歳月と天文学的な費用をかけて1653年に完成したものである。その壮麗さは言語に絶するものである。
皇帝のシャー・ジャハーンも、対岸に自分の廟を建設する予定であったという。自分の廟は黒い大理石をもって建設し、妃の廟タージ・マハルと橋で結ぶ計画だった。しかし、自分の息子に幽閉され、死後はタージ・マハル内の妃の墓の横に葬られた。

アーグラー城
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次は、アーグラー城を見学した。
アーグラー城は、ヤムナー河岸にあり(1565年に建設)、ムガル帝国の権力を象徴する建物である。
皇帝シャー・ジャハーンはこの城の中で幽閉され、1666年に74歳の生涯を閉じたといわれている。この城から妃の廟である美しいタージ・マハルを遠望できる。
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皇帝シャー・ジャハーンが自分の息子に幽閉されたところ
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川向うに愛妻タージ・マハルが見える。
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午後は、ジャイプールに向かって長途の自動車移動である。運転歴30年で観光客専門のグレードの高いドライバーということだ。顔一面に髭をたくわえ、ターバンを巻いた巨漢の男である。髭の奥から目を細めて微笑む顔は、実に愛らしいジェントルマンである。
途中、アグラーの街の南西40km(約1時間の所)にあるムルガ朝第3代皇帝の城跡「ファテープル・スィークリー」を見学する予定で出発した。ところが、30分ばかり走行したところで道路はたいへんな渋滞になった。ガイドのカンさんが心配して聞き合わせてみると、この先の村で自転車に乗った村民が交通事故で死んだという。このため村民たちが怒りだし、道路を閉鎖してしまったということだ。警察が出動して説得しているが、一向に解決しそうにないという。
やむなく車をひき返し、大きく回り道をして行くことにした。トラブルで3時間ばかり遅れることになったが、おかげでインドの農村風景を十分に堪能する旅となった。

調整作業は日本の昔と同じ
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農村の子供たち。通行不能でバスは迂回する。
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ファテープル・スィークリーに到着したのは、すでに陽が西に傾く頃だった。赤い砂岩で築かれた城、ファテープル・スィークリーは、いちだんと赤みを増して美しく目に映った。
■ ファテープル・スィークリー

世界遺産 ファテープル・スィークリー
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皇帝アクバルは、各地で戦勝し北インド地方全域の支配に成功した。しかし彼には、最大の悩みがあった。3回結婚したが、世継ぎに恵まれないことだった。そこで聖者に相談すると、聖者は“やがて男児が授かる”と予言した。その言葉どおり、やがて男児に恵まれたのである。子どもの名前は聖者「サリーム」の名を譲り受ける。父の皇帝アクバルは、戦勝記念と、王子を授かったことを記念して1571年スィークリーへの遷都を決行した。都の名をファテープル・スィークリー「勝利の都」と命名した。
しかし、ファテープル・スィークリーは冬が寒く夏が暑い。そのうえ、水不足の土地という悪条件が重なり、わずか14年でこの土地を去ることになった。その後、赤い砂岩の城は廃墟になってしまったのである。
ファテープル・スィークリーの見学を終え、麦秋の中に陽が沈むころこの街を後にした。やがて薄暗くなった沿道で、着飾った女性たちが手を振っている。こんなところで公然と売春を行っているところであった。
途中、交通事故というハプニングに巻き込まれたため、ジャイプールのホテルに到着したのは予定よりかなり遅い時間となった。
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