世界旅トップページ
インド・ハイライト8日間
トップページ 3月21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 後感

  3月23日(金)

ガンジス川の乗船場
ガンジス川の乗船場
 今日は、早朝5時30分にホテルを出発し、ガンガー川の沐浴風景を見学に出かけた。

 ガンガー川に到着したころは、街はまだ薄暗かった。町の入り口で牛乳ティーのふるまいを受け、舟乗り場に入った。「足元に注意して歩いてください」とカンさんから言われていたが、街の様子をカメラに収めておこうと夢中になって歩いていると、何か暖かい柔らかいものに足を突っ込んでしまった。ガイドのカンさんは、笑いながら「あなたは“ウン”がつきましたね・・・、コーウンが訪れますよ。」と冷やかされた。

仏教徒たちの渡舟
仏教徒たちの渡舟
 ガンジス川は汚いと聞いていたが、流れは案外きれいであった。私たちみんながお祈り用の花に燈明のついた飾りを分けてもらい、川の中央にでて精霊流しをした。川岸近くでは沐浴をする人、お祈りをする人々がいっぱいであった。また、聖なる川ガンジスは、格好の洗濯場でもあるらしい。大きな板に洗濯物を叩きつけながら洗っている。洗濯屋さんもみんなこの川を利用するらしい。シーツ等を川岸のコンクリートいっぱいに張りつけて乾燥させていた。

 川岸には、ヴィシュワーナート寺院、マニカルニカ・ガード(火葬場)、ダシャーシュワメード・ガード、そして日本人旅行者が利用する“久美子ハウス”と大書されたホテルも見えた。

沐浴場の人たち
沐浴場の人たち
 ふだんは実に静かな川であるが、この川も雨期に入るとたいへんな水量になるようで、川岸の建物には過去に起こった洪水水位が遠目にもよくわかるように書き込まれている。おそらく十数メートルぐらいは水位が増すのだろうと思った。洪水時は、沐浴見学舟は欠航のようである。だが市民の沐浴は、寒い時期でも雨期でも休むことはなく続くそうだ。

 川面に出てしばらくすると、東方の雲間から太陽が顔を出してきた。ガンジス川のたくさんの観光舟と、川面に映える太陽の光の交錯は実に神秘的な光景であった。

 火葬場にさしかかると、カメラは禁止であった。火葬を行っていると否とにかかわらずである。火葬場には、たくさんの薪が積み上げられている。火葬の費用は、薪の使用量で決まるようだが、ちなみに1件8,000円ぐらい(日本円)が必要とのことである。お金のない人は、薪代を節約するので、適当なところで川に流してしまうようである。

市民の洗濯
ガンジス河は市民の洗濯場でもある
  煙突のある建物は火葬場
煙突のある建物は火葬場
  日の出
日の出の時間
ヴィシュワーナート寺院
河岸のヴィシュワーナート寺院
 下舟してから、黄金寺院(ヴィシュワーナート寺院)に行った。開基は、5世紀頃と言われる。12世紀以降、イスラム教徒によって何回か破壊されてきた。聖都バナーレスの中心地にあり、巡礼者のめざす聖地である。黄金寺院にはヒンドゥー教徒しか入ることが許されない。見学者は、近くのビルに上がって寺院の外側を見学するようになっている。カメラは一切禁止である。

 この場所まで到着するのはたいへんなことで、狭い路地を歩いていると両側から物売りの男女にもみくちゃにされてしまう。「もういらない!」と、強く振り払って歩き出そうとしても、足元にも気をつけていないと、今度は野良牛のみやげものの“ふん礼”を受けることになる。

野良牛
狭い露地にも野良牛。おみやげを残して行く。
 黄金寺院のすぐ隣には、白いミナレットのあるイスラム教の寺院がある。どうしてここにイスラム教の寺院があるのか理解に苦しむのだが…。たぶん過去の宗教覇権の名残りであろうと思った。

 ヒンドゥー教は、別称「インド教」ともいわれ歴史は古い。現在のヒンドゥー教は“シヴァ神”に類似する神像が祀られ、男根崇拝でも知られる宗教である。

 帰りは、リクシャーに乗ってホテルまで帰った。

 午後は、空路カジュラホへと向かった。所要40分くらいである。

カジュラホのホテル
カジュラホのホテル
ジャス トライデント
 “カジュラホ”は「ナツメのあるところ」という意味らしい。人口は、5〜6000人の小さな観光地である。この町はハーブが採れるところで、ハーブ油を使って行う「アーユルヴェーダ」というマッサージが有名である。頭のてっぺんから足の先までオイルを擦り込んでいく治療で、1時間半ほどの治療で90ドル。インドとしては高い治療代である。

 夕方、ホテル周辺の散策に出かけた。自転車に乗った少年が、カタコトの日本語で話しかけてくる。いろいろなことを教えてくれるので案外頼りにもなった。

 少年とふたりで話しながら歩いていると、若い男女のオートバイが止まった。後ろに乗っているのは日本人のお嬢さんである。彼女は「旅行で来られましたか?」と聞いてきた。「そうです」と答えると、彼女はインドに魅力を感じて旅行をしているとのことだった。「インドでは、案外だまされることがあるが、この青年は親切でいろいろ案内してくれる…。結婚するかもしれない…」とも言っていた。インドでは、外国人女性は開放的と言われているので本当に大丈夫だろうかと何か心配な気もした。
民族舞踊ショー
民族舞踊ショー

 町のあちこちで、橙色で房状の花をつけた喬木を見かけた。少年は、樹名を「チョラ」と教えてくれた。ホテル前まで帰って別れを告げると、チャッカリとバクシーシを要求された。抜け目のないたいした商法だと思った。

 夜は、インド舞踊の見学に出かけた。入場料は10ドルである。哀調をおびた歌に合わせて、原色の派手な衣裳を身にまとい、腰をくねらせながら踊り続ける。最後に、客席の人を呼び込んで一緒に踊らせる。隣の席にいた、トラベルのSさんが呼び出された。赤いハンカチーフを持って、踊り子の調子に合わせて踊るSさんのしぐさは実に堂に入ったものであった。

トップページ 3月21日 22日 23日 24日 25日 26日 27日 後感
世界旅トップページ