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シルクロード魅力探訪の旅

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8月21日(土)

今日の観光予定は、アスターナ古墳、高昌故城、ベゼクリク千仏洞、火焔山の予定である。


アスターナ(阿斯塔那)古墳
アスターナとは、ウイグル語で“休息の場所”という意味らしい。西晋元年(278年)〜唐代高昌城(778年)時代に造られた高昌国貴族の地下墓群(公共墓地)である。太古に活躍した貴族たちの500基に及ぶ古墳群(墓)が地下に眠っている。発掘された埋葬品は、次の日に新彊博物館で見学する


高昌故城
高昌故城
高昌故城
高昌故城の見学は、入口のみやげ品店から馬車(ロバが引く馬車)で城内を案内してくれた。馬車と云っても粗末な荷車に簡単な日覆いがしてある程度。1台に4〜5人ずつが分乗する。馬車が動き出すと素早く附近の若者や子供が馬車に飛び乗り、いろいろなみやげ品を売りつけてくる。みんな片言の日本語を使いながら鈴(10ヶ位)を差出し『センエン・センエン』と売りつけてくる。中国の古銭もある。もちろん贋物だが確かに汚れて古銭の感じがする。学校にも行っていないであろうと思われる小さい女の子に同情し、一人の奥さんは千円を払った。鈴は受け取らなかった。女の子は何度も何度も頭を下げてお礼を云っていた。

砂ぼこりの悪路で馬車は喘ぎ喘ぎ進んで行った。時々ロバはいや気がさしたように動かなくなってしまうこともあった。入口から故城まではさして長い距離ではなかったが”馬車代2千円”、この地方にしてはかなりの料金のようにも思った。

高昌故城も、高昌国の廃墟で前日に見学した交河故城のように土レンガで築かれている。遺跡は外城、内城、宮城の3つの部分に分かれ、周囲5.4km、面積200万kuのほぼ正方形になっている。シルクロードでは最大規模のものといわれる。この遺跡も、日干しレンガで築かれているため風化が激しく、城壁、城門、馬道、宮殿、寺院、仏塔などの一部が残るのみである。

あまりの広さなので、入り口部分のみを見学して再び馬車で引き返した。ここでもみやげ品店で出してくれたサービスの西瓜は暑さの中とても美味しかった。

高昌国の歴史は、499年に漢民族の麹文泰(きくぶんたい)が国をつくり、都を築いたものである。

唐時代(7世紀)に、玄奘三蔵がインドへ教典を求めての旅行途中、この高昌国に立ち寄った。麹文泰の懇請で1カ月間教典を講義し、帰りに再び訪れることを約束して旅立った。玄奘三蔵は、10年後の帰国途中約束どおりこの地に立ち寄ったが、640年に唐によって滅ぼされており、高昌国は亡くなっていたという。


美しい赤いハゲ山
美しい赤いハゲ山
ベゼクリク(柏孔克里克)千仏堂
火焔山の北麓、ムルトゥク河断崖に6世紀(南北朝)〜14世紀(元時代)にかけて彫られた石窟寺院である。「ベゼクリク」とは、ウイグル語で“装飾された家”という意味らしい。9世紀の中頃、仏教徒であったウイグル王国の王家の寺であった。現在は、77個の石窟が残っており、うち40窟に、総面積にすると1万2,000uに及ぶ壁画が残っている。14世紀に、イスラムの侵入により偶像破壊があり仏画の顔面が潰され、その後、外国の探検隊によって多くの壁画や教典が持ち去られてしまったようだ。(この外国探検隊の中には、日本人の名前もあるから悲しい限りである。)
山肌に掘られた無数の仏洞
山肌に掘られた無数の仏洞 谷底は川が流れている

千仏堂に到着したのは、ちょうどお昼の真っ盛り・・・、茶色のハゲ山に太陽が照りつけ、たいへんな暑さであった。 太陽の照射が厳しいだけに特にすばらしい景観を見ることができた。(厳しい太陽の照りつけがあるほど、山肌が赤く炎のように美しく見える。)


火焔山
火焔山 太陽の照り返しがゆるく実感が薄い
火焔山
ウイグル族は、火焔山を“ギジルタグ”(赤い山)と呼んでいる。トルファン盆地の北側に東西に連なる全長100キロあまり、幅9キロの山脈である。平均海抜500m、最も高いところで851m。真夏の地上温度が80度にも達するという。山肌には、無数の縦の切れ目があり、1本の草木も見られない。この山肌に、真南から太陽の光を受けると、まるで炎を吹き出して燃えているように見える。「火焔山」の名前がついた所以のようだ。
ブドーを売る農民たち
ブドーを売る農民たち 小粒のものが美味しい

西遊記の舞台になったことでも有名で、三蔵法師らがこの地にさしかかった……。しかしこの山が燃え盛っており通れない。そこで、孫悟空は女仙人の鉄扇公主、牛魔王と戦い、芭蕉扇で火焔をあおぎ、炎を消してここを通過することができた・・・。

私たちが火焔山に到着した時間が悪かったのか、また太陽の照射方向がよくなかったのか、山肌の赤土が冴えず、火焔山の景観を見ることができなかったのは残念であった。

午後は、トルファンを後にして再び専用車でウルムチに帰った。

烏魯木斉・ウルムチ
ウルムチに帰ったのは、夕方の5時半頃であった。この地方で5〜6時は太陽も高く、まっ昼間である。早速、紅山公園に上り市街地を一望した。

ウルムチは、大昔は湖であったという。伝説では、大昔、紅山は龍で、この龍がウルムチに大洪水をもたらしたといわれる。伝説の女神、西王母が龍の頭の上に塔を立て、龍の災いを鎮めたという。

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8月22日(日)

天池に行く途中にあるパロ
天池に行く途中にあるパロ
天池(ティエンチー)
今日は、ガイドの曹笑陽さんの特別の計らいで天池(ティエンチー)の見学が日程に取り入れられた。ホテルを少し早目に出発し天池へと向った。市内から120km、高速道路を利用すれば1時間半ぐらいで到着する。この天池は、ボゴダ山脈の主峰、ボゴダ山(5,445m)の中腹、1,980mのところにある天然の湖である。湖の大きさは、長さ3,400m、幅1,500m、周囲11km、面積4.9ku、最も深いところは105mである。特に湖から眺めるボゴダ山の万年雪は美しい。
天池から眺める天山山脈が美しい(万年雪の山)
天池から眺める天山山脈が美しい(万年雪の山)

先程通った高速道路だが、これも最近開通したばかりだった。天池の近くまで来ると高速道路は終り、一般道を通って行くことになった。朝の比較的早い時間帯であったとは云え、120キロもある高速道路(往路)でわれわれの乗った車とすれ違ったのはわずか12台であった。

池の周辺には、たくさんのパロが点在し、農家の青年たちが馬で駆け回りながら、観光客に乗馬を奨めてくる。

周辺には、岩肌をむき出しにした急峻な岩山があるが、その岩山で点々と山羊が草を食んでいた。岩場を巧く飛び歩くので「ブルーシープ」かとも思ったが、身体が白いから山羊である。一般に山羊は、きれいな草しか食べないので、ほかの動物が行かないようなところで生活しているという。よく足を滑らせないものだと感心して眺めていた。

天池の美しい景色を後にお昼頃再びウルムチへの帰途についた。
復路では、日曜日であったため天池に向う観光客の車等で往路のような状態はなかった。


新彊ウイグル自治区博物館

イスラム教のモスク(礼拝堂)を模した石造りの建物(1958年完成)である。

館内には、古代シルクロードの各地で出土した文物が陳列してあり、民族の生活文化の様子などを一見することができる。

特別室には、ミイラが10体ほど陳列されていた。中でも、3000年以上前のローラン美人(20歳前後)がある。ミイラではあるが、風貌からしてかなりの美人であったであろうことを伺い知ることができる。


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