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シルクロード魅力探訪の旅

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8月20日(金)

烏魯木斉・ウルムチ
烏魯木斉(ウルムチ)とは、蒙古語で“美しい牧場”という意味である。天山山脈の北麓、ジュンガル盆地のある標高924メートルの高原の町である。シルクロードの「ハミ」(哈密)、旧ソ連、カザフスタンを結ぶ「天山北路」の要衝にあり、紀元前から西域都護府が置かれていた。現代に至ってもその地勢に変わりなく引き継がれており、新彊ウイグル自治区の中心都市である。高層ビルが建ち並び、人口も130万人を数える大都市で、人種も多様である。

自然環境に恵まれており、天山山脈からの雪解け水が大地を潤し、緑の多い町でもある。また、地下資源も豊富で、石油、石炭を産出していることでも有名である。石炭層が50メートル、最も厚いところでは600メートルもあると言われる大炭田地帯である。

8月20日は、朝ウルムチを出発してトルファンへ向かった。昨日までのガイドの張軍旗さんに代わって、この日から恵強さんになった。

大平原を通り抜ける高速道路
大平原を通り抜ける高速道路
ウルムチからトルファンまでは、ざっと200キロ余りはある。郊外に出ると急に視界が開けてくる。高速道路の沿線一帯は広大な土漠地帯である。近くに小さな湖があった。岸辺の方は白く光って見える。一瞬「あれは何だ!」と思った。説明によると、湖水(塩水)が太陽熱で濃縮されてできた天然の塩の堆積だという。こういうことからか、近くには醤油の醸造工場もあった。

この高速道路は新しく、1998年8月に開通したばかりである。延長180キロに及んでいるが、工事期間は実に3年という短期間で完成させている。ちなみに、総工費60億元−日本円にして約915億円であろうか。

この地方は、平坦な土漠地帯、賽の河原のようなところだから、両側の土砂を掻き上げて鎮圧、舗装をすれば立派な道路ができ……。とはいっても、たいへんなスピード工事である。昔は、ウルムチ〜トルファン間を自動車で4〜5時間かかったというが、今ではこの高速道路のおかげで約半分の2時間半ぐらいで行くことができる。トルファンの近くの道路が完成すればもっと短縮されるであろう。

高速道路に並行して旧道が走っているが、真夏の暑さでアスファルトが溶けだし、たいへんな凹凸道になっていた。旧道では、車がたいへん難渋しながら走っているのが見えた。

ウルムチの郊外にある風力発電
ウルムチの郊外にある風力発電
また、この地方は年間を通じてたいへん風の強いところのようである。最近、高速道路の沿線には風力発電所が建設され、大きなポールの上にローター(プロペラ)をとり付けた、200基もの風力発電機が整然と並んでいた。このローター(プロペラ)が、いっせいに何の屈託もなく回転している様は実に壮観である。

日本でも、やっと先般北海道苫前町に、20基の本格的風力発電所が完成したことが報道されていた。(日本にあるものを全部数えても、やっと140基ぐらい。)このことからしても、この発電所は見上げたものである。近くに火力発電所も見られたが、石炭の多いこの地方で、早くも環境に配慮した施策が進められていることに感心した。

ちょうど、高速道路と鉄道が並行している地域だったので、長い列車が通過していくのも見かけた。たぶんユーラシア大陸を走り抜ける1万80kmに及ぶ大鉄道ではないかと思った。

トルファンに近づくにしたがって景色は変化し、山あり川ありの渓谷地帯を車は走り抜けていった。この、後溝の谷を過ぎるとトルファンの町はもうすぐ20〜30分ぐらいで到着するとのことであった。

吐魯番・トルファン
トルファンも、天山山脈の麓にある盆地である。海からいちばん遠いところにある盆地といわれ、シルクロードの“オアシス”そのものである。道端には小川が流れ、住宅が建ち並ぶ集落の通りの両側にはポプラ並木があるなど、夏の暑さの中にホッとした安らぎを覚える。

トルファンの市街地は、海抜18〜106m。今回の旅行では行けなかったが、トルファン盆地の南にある「アイディン湖」は海抜マイナス154mという中国国内で最も低い土地(世界では死海に次いで第2位)がある。

 町の歴史は、200年ほどと新しく、人口も25万人ぐらいという。夏は40℃以上の暑い日が続くといわれ、中国で最も厳しいところと聞いた。しかし、われわれの旅行中(8月20〜21日)は予想したよりも涼しく凌ぎやすい気候であった。たぶん、日中の気温が36℃ぐらいであったろうか。しかしながら、この地方も冬はたいへんな寒さで、マイナス30℃ぐらいまで下がるという、まさに苛烈な環境の地である。
集落の中にあるブドウ棚の通り
集落の中にあるブドウ棚の通り

また、年間降水量はわずか16mm、逆に蒸発量は3,000mmに達し、きわめて乾燥する地帯である。別名“風の蔵”といわれ、いったん嵐が起こると石混じりの土砂が飛び交い、車のフロントガラスも壊れてしまうような危険な状態になるようだ。

しかし、この地方は良質のブドウの産地で、郊外のあちこちにブドウ栽培農家が点在しており、一風変わったブドウ乾燥用の小屋が目につく。粘土レンガを交互に間をあけながら積みあげ、モザイク状の風通し穴を作った建物が無数に並んでいる。中には農家の住居といっしょになっているところもあるが、この作業小屋の集団はトルファン地方の一大風物詩である


カレーズ(坎児井)
トルファンの町に入る前に、地下水道網“カレーズ”を見学した。大きなブドウ棚の下を通っていくと、カレーズを見学できる場所がある。カレーズは、ペルシャ語で“地下水”の意であり、天山山脈の豊富な雪解け水を、トルファン盆地まで暗渠で導引している。20〜30メートルおきに縦坑を掘り、その縦坑を横に地下水路で繋いでいる。縦坑のあるところの地上部には、土饅頭のような土盛りができているのでよくわかる。一つのカレーズは、長いもので20〜30kmもあり、縦坑のいちばん深いもので70m(山側の上流部)、下流部の浅いものでも3mぐらいはある。盆地の農場まで到達したところで地表に湧き出させる仕組みになっている。カレーズの一組がだいたい3〜8kmぐらいはあり、このカレーズを全部あわせると、地下水道網の総延長は5,000kmにも達する。万里の長城といい、各地の石窟といい、中国の古代人はたいへんな英知と努力、そして土木工学をもった人種だったのだと感心しながら見学した。

この、カレーズのおかげでたいへんな乾燥地帯(年間降雨量16mm)でも、町や村のあちこちに小川が流れており、農業が成り立ち生活ができるのである。見学に訪れたこの日の気温は41℃ぐらいとのことであったが、この地方の夏の気温としては驚くほどのものではなかった。われわれも、現地の人の労働時間にあわせて、午後の観光は4時半からとし、ホテルで小休止をとることにした。


交河古城。
交河古城。風化が激しい
交河古城
午後の休憩を終えてから、次の目的地交河古城の見学に出かけた。

この古城は、トルファンの市街地の西10キロ、ヤルナイゼ川の中州状の台地にある。台地は高さ30m、長さ1,650m、最大幅300mで木の葉形をしている。この台地の上に古城がある。

遺跡は、茶色の土レンガで築かれているので、太陽の強い照り返しを受けてたいへんな暑さである。「天に飛ぶ鳥なし、地に草獣なし」と謳われていることでも理解できる。

交河古城の歴史は、前漢時代に都として城郭都市が築かれたことにはじまる。城内には仏殿、僧院、官庁、地下式の民家、牢獄、車井戸などが残っている。レンガで築かれているので、雨は少ないものの風化が激しく、このままではやがて遺跡が消滅してしまうのではないかと心配した。


バザール
トルファンのバザールは規模が大きい。絹織物、絨毯、ウイグル帽、イスラムナイフ等の店があり、小さい通りを挟んでぎっしりと店が開かれている。
特に、買い物をする目的もなかったので早目にセンターのみやげ品売り場まで引き返した。ここでも、サービスの西瓜を出してくれた。この地方の西瓜は肉質がやわらかく糖分が多いので暑さの中の旅行には何よりのもてなしであった。


吐魯香賓館の中庭
吐魯香賓館の中庭、ブドー棚の下で開かれた民族舞踊
ウイグル族民族舞踊
夕食後、トルファン賓館脇のブドウ棚の下で開かれる民族舞踊の見学に行った。ウイグルの人々は、みんな音楽好きといわれる。八等身の均整のとれた若い男女が、原色の民族衣裳を身にまとい、バラライカ(ロシアの民族楽器・揆弦楽器の一種)や、バンジョーにあわせ、実にテンポの速い踊りである。

そもそも、この踊りはシルクロードを通って中国に入り大流行したもので、西域の音楽や舞踊であった。胡楽とか胡舞の名で漢時代から唐時代に流行したものである。その流れは日本にも伝わり、厳島神社(広島)の雅楽にもなったという。

この民族舞踊をみると、中国の秘境に旅行した気分が一層深まってくる。

宿泊した吐魯香賓館は、トルファンでは最高のホテルでへき地の旅行とすれば設備は申し分ない。ドームや塔がそびえ、ブドウ棚のある中庭を囲むように客室が建っている。レストランは別棟になっていた。売店のお嬢さんたちは、日本語が堪能で実に愛想がよい。


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