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古代のロマン・エジプトの旅

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 2月22日(火)

王家の谷
王家の谷
山をピラミッドに見立てる
 エジプトというと、一般に大変暑いというイメージをもっていた。しかし今回の旅行は冬期で、旅行に最適の時期ということだった。しかし、大陸性の気候は昼と夜(寒い)の気温の変化が激しく体調を崩してしまった。

 この日は、ルクソール西岸地区の観光である。メムノンの巨像、王家の谷、クルナ村の村長さんの家、ハトシェプスト女王の葬祭殿を見学する予定である。

 少し早めにホテルを出発し王家の谷に向かった。王家の谷の入口から遺跡まではトロッコバスが運んでくれる。入口右手、山頂に早稲田大学・吉村作治教授(探検隊)のハウスと、もう1棟イギリスのカーターさんのハウスがあった。

クルナ村の村長さんの家
クルナ村の村長さんの家
 茶色の、一草一木も見えない岩山の各所に王家の墓がある。私たちは、最初にラムセス9世の墓、次にラムセス4世、ツタンカーメンの墓へと回った。いずれも、第18王朝〜第20王朝(新王国時代−B.C.1567〜1085年頃)に造られたものである。玄室に通じる通路には彩色の絵(レリーフ)が描かれており、その美しさには圧倒される。(ツタンカーメンの墓以外は、カメラ撮影OKである。)

 次は、クルナ村の村長さんの家に行った。家の中では、アラバスターの加工場と民芸品の即売場、また家の中にハトの巣(土壁にハトの入る穴巣がある)、地下には墓であったという洞窟があった。村人や子どもたちの写真も撮らせてもらった。こうして住民の人たちと接していると、この村の生活ぶりが垣間みられるような気がした。

ハトシェプスト女王の葬祭殿
ハトシェプスト女王の葬祭殿(正面)
クルナ村の人たちは、みんな黒い民族服かガラベーヤを纏っていることも不思議なことであった。

 村長さんの家から、ハトシェプスト女王の葬祭殿は近かった。ハトシェプスト葬祭殿では、数年前、日本人観光客が射殺されるという事件があった。観光客の安全を守るため、ここでもあちこちに武装した兵隊が看視している。神殿前から直線で緩やかに上がっていく坂道はかなりの距離があった。葬祭殿は、岩山の崖を利用して造られており、葬祭殿の周辺は引き続き発掘調査や整備作業が進められていた。また、この付近一帯は貴族の墓や葬祭殿がたくさん点在していた。

クルナ村入口のメムノンの巨像
クルナ村入口のメムノンの巨像
 そして、帰る途中、メムノンの巨像に立ち寄った。メムノンの巨像は、新王国時代(第18王朝)の絶頂期、アメンヘテプ3世の葬祭神殿の入口にあった。葬祭神殿は、後の王たちが石材として取り去ったので入口の巨像だけが残っている。その後、ローマ支配時代に地震に遭い、亀裂が入って今のような痛々しい姿になってしまった。

 このメムノンの巨像は、厳しい温度差により石がきしむのと、風により不思議な音を発するので、現地の人は“像が歌う”といっている。この日は風もなく、風音を聞くことはできなかった。

 午前中で、今回の旅行日程をすべて踏破することができた。再びホテルに帰り、帰途のルクソール空港に向かった。1週間ほどの限られた日程の中で、航空機の発着時間の変更など数々のトラブルがあった。しかし、ガイドのヤーセルさんは、いろいろと苦心をしながら予定の行程を要領よく案内してくれた。また、懇切ていねいにガイドをしてくれた。エジプトのガイド、ヤーセルさんに心から感謝を申しあげたい。

 後 感

 「旅」とは“現地を踏みしめ、大自然(景観)をこの目で確かめ、人々と触れ合うことである”。確かに、情報はいろいろな媒体を通じて知り得ることができる。しかし、現地に立って実物を目の当たりにすると、その感動は実に言葉では言い尽くせないものである。

 王国の盛衰
 4500年以上もの昔、エジプト人はピラミッドという巨大な建造物を造った。紀元前5世紀頃からギリシャ人が観光に訪れていたなど、こんな事実をだれも想像できないであろう。また、これだけの大事業を成し得たエジプト人のパワー。宗教権力なのか、エジプト人の崇高な英知なのか、紀元前数千年もの太古に、これだけの大事業を行い栄華を極めたエジプト王国、そして衰退の道程はわれわれも大いに心しておくべきことかもしれない。新王国時代(ハトシェプスト時代)が終わり、末期王朝時代になると国土は分裂し、激動の時代に入っていく。
やはり、王家の莫大な財宝の蓄積、神殿、王宮、官庁への過大な投資、貴族や廷臣たちの奢りと王権の争い、そして近隣諸国との軋轢など、さまざまな要素が衰退に拍車をかけていったのではなかろうか。これが、クレオパトラの自殺によって王朝は完全に滅亡しローマの支配下となってしまった。

 クレオパトラ宮殿(都)は、アレキサンドリアの海中から発見されている。アレキサンダー大王によって紀元前4世紀に築かれた都である。また、クレオパトラは優れた頭脳の持ち主であり、絶世の美人であったとも言われている。

 各国が競って発掘調査
 このように、エジプトは世界最古の文明発祥の地である。5千年もの長い歴史が砂漠のいたるところに眠っている。現在、この謎を解明すべく世界各国が競って遺跡の調査に取り組んでいる。この中で日本の早稲田大学探検隊は最先端の技術「透視」という方法により、遺跡を破壊せずに調査することに成功、各国から高い評価を得ているとも聞いてうれしく思った。

 今回、クフ王のピラミッドの中に眠っていた、第二の「太陽の舟」もこの技術によって1987年日本の探検隊によって発見され、現在本物と同じ材料(レバノン杉)を使って複製品が造られることになっている。やがて、日本でも私たちが目にすることができるのかもしれない。
水ガメを頭の上に乗せて歩く婦人
水ガメを頭の上に乗せて歩く婦人

 生活水準
 見かけるところ、産業構造は悪いと見た。したがって、生活水準も低いと言わざるを得ない。公務員は給料が低い職種といわれる、それにしても月給 4,000円(物価水準は日本の10分の1程度)とはひどい。住居にしても実に粗末で(特に農村地帯)、エジプトではどの建物も建築途中のように柱が突き出ている。雨も降らないから天井(屋根)がなくても大丈夫のようで、やがて子どもが成長し世帯が大きくなると上に継ぎ足していくそうである。合理的といえば合理的かもしれない。

 教育
 農村地帯では、文盲者が半数を超えるという。子どもは学校に行かせる必要はないとする親が少なくないというが、これも貧困のなせることなのか、実にかわいそうである。

そういえば、今回の旅行中、子どもたちの通学している情景を見かけなかったような気もする。

長岡 榮 記

(註)この旅行記は、ガイドの説明を主体に記述した。聞き誤り、思い違いがあればお許し願いたい。
 なお、参考文献として、『地球の歩き方(22)・エジプト』(ダイヤモンド社)を参考にさせていただいた。

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