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古代のロマン・エジプトの旅

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 2月20日(日)

イシス神殿
イシス神殿
元ナイル川のフィラエ島にあったがアスワンダム建設により水没する運命になり近くのアギルキア島に移築したものである
 この日の予定は、ナイル川のかなり上流まで上がる予定で、アスワンのイシス神殿、そしてアスワンダム、アスワンハイダムを見学した後アブシンベルまで足をのばす予定である。アブシンベルは、カイロから約1,000kmぐらいのところにある。

 まず、最初にイシス神殿に向かった。

 新王国時代(B.C.1500年頃)に入ると、ピラミッドから岩窟墓時代に変わっていった。豪族たちは、ルクソール地方をおさめ、勢力を拡大して各地に神殿を建設していった。

イシス神殿のレリーフ
よくぞ移転されたもの 工事の痕跡も見えない
 このイシス神殿は、アスワンダムが建設される前はナイル川辺りにあった。しかし、アスワンダム建設により水没する運命となり、現在の小高いフィラエ島の上に移転されたものである(1980年移転完了)。

 巨大な列柱と、建物の壁画(レリーフ)など移転の際若干の損傷の跡がみられるものの、(実にたいへんな作業であったろうことを伺い知ることができる。)この大変な事業を実に巧く完成させたものと感心させられた。アスワンダム湖の元宮殿であった位置には、その痕跡のポールが数本残っているのが見えた。ダムの底には、まだたくさんの小さな遺跡が沈んでいるという。

アスワンダムから下流を望む
アスワンダムから下流を望む
 そして、アスワンダムとアスワンハイダムの見学に向かった。

 このアスワンダムは、イギリス支配時代の1898年にイギリスが着工し1902年に完成させた。当時、毎夏のように氾濫するナイル川のコントロールと、エジプトの農業振興を目的として建設された。当時としては、世界最大のダム(堤長:2140m、ダムの高さ:51m、花崗岩で構築)であったが、当初予定した効果は果たせなかった。しかし、堤頂は4車線の立派な道路となっており、現在では両岸を結ぶ主要交通網として大きく貢献している。

 その後、アスワンダムの上流にさらに大きなアスワンハイダムを建設することになる。

 アスワンハイダムは、ドイツとソ連の両国が協力し1972年に完成している。堤長3600m、ダムの高さ 111mで、ダムの上流 500kmまで巨大なダム湖(ナセル湖)となっている。琵琶湖の7.5倍もの広大な人造湖で、水力発電所が建設され、砂漠の中にはたくさんの送電線が走っていた。

 しかし、エジプトでの電力事情は今でも厳しく、依然として火力発電が主流で日常生活の中での電気料金の占めるウエイトはかなり大きいという。

ニュー・カタラクトホテルで昼食を済ませ、バス乗り場に行った。広場前の小高い丘の上に赤レンガ造りの立派な「ソテル・オールド・カタラクトホテル」があった。「ナイル殺人事件」のロケ現場に使われたホテルである。

アブシンベル
岩山に洞窟を作りその中に嵌め込んで行った。
 午後は、空路アブシンベルに向かった。

 アブシンベルは、ナセル湖の上流にある田舎町である。世界遺産となったアブシンベル神殿は、私たちがテレビ等でよく見かける巨大な座像のある神殿である。この神殿も、アスワンハイダム建設により水没する運命にあった。そこで、ユネスコが国際キャンペーンにより救済し、5年もの長期間をかけ大小2つの神殿を川岸60mの高台へ移築したものである。(移築工事:1968年〜1972年)

 この(元)大岩窟は、古代エジプト新王国時代、今から3300年前に造られた。第19王朝ラムセス2世は自己顕示欲の強い王で、自分自身の巨像を各地に造らせたという。

 新しく、移転を完了した大岩窟の正面入口には元のように4体の巨大なラムセス2世の座像(高さ20m)があり、また神殿内(岩窟)にもオシリス神の姿をしたラムセス2世立像8体(高さ10m)が左右4体ずつ向かい合って立っている。また、神殿内には壁画もたくさん残されている。

大神殿は、東向きに建っており毎年2回神殿正面から朝日が射し込み、神殿奧に安置されている神格化したラムセス2世像を照らすといわれている。

 神殿の移築工事は、神殿がナセル湖に沈む前に石像や壁画を巨大なのこぎりでいくつかのブロックに切り取り運び出した。新しい大神殿となった岩山の左側に工事用に使用した隧道跡があり、石製の扉で閉じられており工事の苦心の跡がうかがわれる。大神殿の右側には小神殿がある。小神殿も同じように移築したものである。小神殿の正面入口には6体の立像が並んでいる。
ナイル川の「ファルーカ」(帆舟)
ナイル川の「ファルーカ」(帆舟)
帆柱が艇長の2倍近い

 夕方、再び空路アスワンに引き返した。

 アスワンでは、名物「ファルーカ」(帆舟)でナイル川のクルーズを楽しんだ。全長7〜8mほどの小舟(木造)に、舟の長さの2倍ぐらいもあろうかと思われる帆柱を立て、白い三角形の帆をかけている。この帆を巧みに操りながら川面を滑るように走っていく。ガラーベヤ(白い民族衣装)と頭に白いターバンを巻いたヌビア人の船頭が、ラクダの皮を張った鼓を打ちながら歌い出した。

  “エレラ・ボレーラ”(「愛してるよ!」の意)
     “エレラ・ボレーラ”

 若い助手の船頭は、舟の真ん中に立って踊りだした。“みんなもいっしょに踊ろう”と誘った。−乗りのいい女性の人達は小さな舟の中で“エレラ・ボレーラ”を繰り返しながら肩を組んで踊った。やはり音楽には国境はないのだと思った。ナイル川の夕陽の中に、平和な和やかな雰囲気が漂った。

 ヌビアの子どもたち、2人がやっと乗れるぐらいの小舟に小さな板きれを櫂にして漕ぎ、民謡を歌いながらファルーカ舟に近づいてきた。観光客からおみやげをもらうためである。

 ヌビア人=ナイル川の上流、ヌビア地方を中心に居住している人種(少数民族)で、独特な言語と文化をもっている。王朝を確立した時代もあるという。温厚な黒色人種だが、プライドが高く他人種との交流(結婚)はしないという。

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