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古代のロマン・エジプトの旅

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 2月18日(金)

ジェセル王の階段ピラミッド(サッカラ)
ジェセル王の階段ピラミッド (サッカラ)
 早朝、陽が昇りはじめる頃ホテルの屋上に立ってピラミッドの幻想的な景色を眺めた。シルエットのように浮かび上がるピラミッドは格別であった。(ホテル:ル・メリディアン・ピラミッド)

 今日の見学予定は、サッカラの階段ピラミッド、ダッシュールの赤いピラミッド、屈折ピラミッド、絨毯の学校(工場)、メンフィスの崩れたラムセス2世像、ナイル川クルーズ(ディナーショー)である。

 サッカラの階段ピラミッドは、ジェセル王(クフ王の父君−古王朝時代−第3王朝、B.C.約2680年)のために造られたもので6重の階段状になっている。高さ60m、基底部 140m× 128mである。魔除の呪文「ピラミッド・テキスト」が発見されたところでもある。倒壊防止のためか、外壁に増設補強された部分が見られる。裏側に「セルダブ」(小さな石室)があり、中にジェセル王像(レプリカ)が安置されていた。

 サッカラの少し南に行くと、ダッシュールの赤いピラミッドがある。赤いピラミッドは安定性を重視して築かれており、断面が二等辺三角形のピラミッドである。石材に“赤い石”が使われておりこの名前がついた。赤い石材は、スーダンから運んだといわれピラミッドでは最古のものである。今では、石材も表面が風化し赤味はほとんど感じられない。
ダッシュール 屈折ピラミッド
ダッシュール 屈折ピラミッド 高さ105m
下から50m位のところから屈折している。

 ここでも石室を見学した。ピラミッドの中腹から入るが、玄室まで約80mほどの階段を中腰で下って行くのである。ここでも階段の天井にずいぶんと頭をぶつけることになった。

 赤いピラミッドの隣には、屈折ピラミッド(高さ105m)がある。築造の途中、王の死期が迫ったため工事を急がざるを得なかったという説と、傾斜をあまり急勾配にしたため崩壊の恐れがあり、50mぐらい上ったところから急に角度を緩やかにしたという2つの説がある。

 この、ダッシュール地区は軍事基地があったところで以前は見学できなかった。96年から一般に公開されるようになったとのことである。
ジュータンの学校
ジュータンの学校〜若いお嬢さんたちが一緒に写真を撮ろうとすすめる

 メンフィスの町に向かう途中、絨毯の学校(工場)に立ち寄った。子どもたち数人が織機の前に座り、下絵を見ながら巧みに色糸を編み込んでいた。子どもたちは、隣に座って“いっしょに写真を撮ろう”と誘っている。みんな観光客からのチップが目当てである。

 次は、メンフィスにあるラムセス2世像の見学に向かった。

 メンフィスは、ナイル川に近い農村地帯にある。古代エジプト時代には首都として繁栄したところで、歴史的にみても重要な 地域である。
ナツメヤシの繁る農村風景
ナツメヤシの繁る農村風景
道路の脇には用水路があるが、これはナイル川の水を引き入れて農業を盛んにした土木工事の遺跡でもある。一帯にナツメヤシが植えられており、南国の情緒がいっぱいの農村地帯である。農産物はトウモロコシ、小麦、ヤシの実、モロヘイヤなどである。集落の中に、日干しレンガで造った無数に穴の空いたカプセル(鳩の巣)があった。鳩はエジプト人の貴重なタンパク源である。

 また、エジプトではたくさんのラクダを見かける。農村地帯に行くとロバ(農耕役用)が多い。しかし、これらの家畜はエジプトで繁殖しているのではなく、ラクダはスーダンから、ロバはリビアから買い入れているという。ちなみに、ラクダは1頭3万円、ロバは1万円ぐらいである。
メンフィスのスフィンクス(アラバスター製)
メンフィスのスフィンクス(アラバスター製)
10mくらい

 ラムセス2世像のある遺跡は、メンフィスの農村地帯の中にあった。遺跡の入口を入るとすぐ右側の建物にラムセス2世像を横たえた展示場がある。この像は、もとは立像であったが、地震のため膝のところから折れたもので、現在では横にしたまま建物で覆って展示してある。膝から頭まで15mぐらいの巨大な石像である。立像であった当時の姿を想像しながら、いろいろな角度からカメラに収めた。建物の横には1912年に発見されたアラバスター製のスフィンクス(10mぐらい)のほか、たくさんの石像が展示されていた。

 この付近一帯は遺跡が点在しており、今回は見学しなかったが少し北側にプタハ神殿跡、さらに北に 500mぐらいのところに北の神殿があるなど遺跡の町である。

小さな路の両側に立並ぶスーク
小さな路の両側に立並ぶスーク
 夕方、再びカイロの町に帰り、ハーン・ハリーリーにあるスーク(市場)に立ち寄った。この町は、フセインモスクなどたくさんのモスクが集中している地区で、礼拝の時間になるとたくさんの市民が集まり賑わうところである。スーク(市場)は、このフセインモスク前広場奧を中心に迷路のように広がり、通りの両側一杯にいろいろな店が並んでいる。みんな日本人観光客とみると、かたことの日本語を使いながら客の呼び込みに懸命である。ときどき、「モウカリマッカ!」と云ってくるのには笑った。

ナイル川クルーズディナーショー
ナイル川クルーズディナーショー
ベリーダンスにうっとり
 日が傾くころホテルに帰った。今日のホテルは市内中心地のナイル川沿い「10月6日橋」のたもとにある「ラムセス ヒルトンホテル」である。私は、ナイル川に面した絶好の部屋が割り当てられており、夕日が沈みかけるナイル川の夕景とカイロの街を心ゆくまで眺めることができた。

 夕日の沈むのを待って、夜はナイル川クルーズに出かけた。ナイル川の美しい夜景の中で、シーフード料理をいただきながらベリーダンスと、イスラームの伝統芸能イスラーム神秘主義者スーフィーの舞を見学した。美女が体をくねらせながら悩ましげに踊るベリーダンスも美しいが、男性が回転しながら衣装を傘のように広げて踊り続けるスーフィーの舞(たいへんなエネルギーを必要とする過酷な舞い)には感嘆以外の何ものでもなかった。

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