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古代のロマン・エジプトの旅

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 2月19日(土)

死者の都といわれるイスラーム地区
死者の都といわれるイスラーム地区・・・いたるところに塔
 ホテルを少し早めに出発し、この日は東岸地区にある「ムハマンド・アリモスク」の見学に向かった。この地区は、イスラーム地区の古い町で通称“死者の都”と呼ばれている。町のあちこちに大小さまざまな塔(墓)があり、市民は居住地としては好まないところである。したがって住居費が安いことから給料の安い公務員の利用が多く、一般に公務員のベッドタウンとも呼ばれている。

 ちなみに、エジプトでいちばん高所得者はというとベリーダンサーといわれ、一日の稼ぎが8千円ぐらいともいわれる。たぶん昨晩のダンサーも売れっ子で、相当の高給とりではないかと思った。ちなみに、公務員の給料は特に安く1カ月4千円ぐらいといわれている。

 ムハマンド・アリモスクに到着した。

ムハマンド・アリモスク
1857年に完成したムハマンド・アリモスク
鉛筆型の塔が美しい
「ムハマンド・アリ」はオスマン・トルコが強大な勢力をほこっていた時代に、アラブ諸国の中でいちばん早くエジプト近代化の基礎を築いた人である。このモスクは、ムハマンド・アリのために1857年に建造させたものである。イスタンブールの様式を採用した建築、すなわち巨大なドーム、鉛筆型のミナレット(尖塔)を備えているのが特徴である。寺院というより城塞といった感じの堂々たるものである。

 内部に入ると、大きな礼拝場とその天井絵の美しさに圧倒される。天井に吊されたたくさんのランプも、昔はローソクで照明されていた。また、堂内正面に設置された黄金の布教階段の美しさも圧巻である。

ここで、エジプトの宗教などについてふれて見たい。

 エジプトは、多神教の古代文明時代から、キリスト教(コプト教)時代、そして7世紀以降のイスラーム教時代となっている。古代文明時代、“死者は蘇る”という死者信仰があり、王たちの死後遺体をミイラ化して保存した・・・。最近、日本でも最近これに似た事件が起こっていたが、これらを真似たものでは?と思った。

セラトンホテルの中庭
セラトンホテルの中庭
 イスラーム教徒は、今でも(1)信仰告白(シャハーダ)、(2)1日5回の礼拝(サラート)、(3)断食(ラマダーン)、(4)喜捨(ザカート)、(5)大礼拝(ハツジ)を行うこととしている。このほか教徒を律するためのイスラーム法(刑法、商法、民法にあたるもの)も存在する。

 また、人は生まれたときから死を迎えるまでいろいろな儀式がある。(1)生まれて7日目に「命名式」を盛大に行う。(2)やがて成長すると「割礼」という儀式がある。衛生上の理由でするといわれるが、男児は陰茎の包皮を、女児は○○を切除する。(3)「結婚」では、男性は法で定められた結納金(マルフ)を用意し、相手方の家族にわたす。最近、相場が上がってきて、男性はたいへんだとか? 恋愛結婚も自由だが、宗教が異なると一方が改宗しなければならず面倒なことになる。また、エジプトでは1人の男性が4人まで妻をもってもよいという。−ただし、平等に扱わねばならない。(4)最後が「死」である。モスクで礼拝し、土葬にする。死後3日間、遺族は弔問客を迎えるという。

 昼食を少し早めにすませ、次の目的地アスワンへ向かう。

ナイル川の夕景
ナイル川の夕景
 昼食会場となったシェラトンホテルは、実に大きな庭園をもつ豪華なホテルであった。庭園にはプールがあり、南国の植物、オーガスタ、サボテン、ブーゲンビリア、パピュリス、タフタ(赤い花をつける喬木)、オレンジなどが美しく配植されていた。

 次の目的地アスワンは、カイロから南へ 800kmぐらいナイル川を上流に遡ったところであろうか? しかし、搭乗機の遅れから予定は大きく狂った。でもアスワンに到着する頃が、ちょうど夕陽の沈みかける時間で窓に映るナイル川の美しさを満喫することができた。

 ホテル、イシス・アイランド・アスワンは、ナイル川の小さな島にあった。連絡船がナイル川の島々の間を静かに進んで行った。島々の巨岩にもレリーフが刻まれており、さすがエジプトの国という風景である。

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