伝統芸能紹介


  県指定文化財・昭和60年4月23日指定


石 見 神 楽 


石見神楽の起源ははっきりしていないが、石見には開拓神である大元神を祭る田楽系の大元神楽があり、これが石見神楽の原型とされている。平安末期から行われていた素朴な田楽が神事神楽と融合して大元神楽が生まれ、さらに謡曲を神能化した出雲の佐陀神能の影響をうけて演劇化を起こし、室町時代に完成した。その後、石見神楽には3つの転機が訪れ、現在のような形になった。

まず、明治初期になって舞い手が神職から民家人(農民)に移行した「神俗交替」である。そして、明治15年国学者の藤井宗雄を中心に行われた改正(6調子を8調子に変更)が第2の転機である。さらに1970年に大阪で開催された万国博への参加で、ショーとしての神楽が繰り広げられるようになった。

現在、石見神楽は、奉納神楽と「大蛇退治」を中心とした娯楽を目的とする2つの形で演じられることが多い。

石見神楽は、絢爛豪華な衣裳と面、そして8調子という激しい囃子が鼓舞する迫力あふれる勇壮な舞に特徴がある。現在、石見一帯には100余りの神楽社中があり、秋祭りを初めとする各神社の例祭や、石見地方のあらゆる行事、イベント、更には、結婚式などの神事では必ずと言っていいほど神楽が舞われている。

また、石見神楽は、東西に長い旧石見国全体にわたって「6調子」「8調子」「両者とは違う型」の3つの型が分布している。「6調子」は詞章に俗語が多く稚拙で短く、所作は緩くて典雅なものをいい、「8調子」は詞章に古典的な優雅さがあり長くて所作は早く、活発で石見人の気性によくかなっているものをいう。「両者とは違う型」は西石見に残っているかなり古いものをいう。さらに、面神楽とそうでない神楽がある。面神楽はだいたい演劇化された神楽で、特に8調子のものはそれが顕著である。これに対して素面の神楽はおおむね祭典と直結した鎮魂を旨としており、特に大元神の式年祭では古来の神楽の方式を固く守っている。

すなわち、大元神楽は「荒神祭」「清湯立」などの神事をまず行い、その後で普通の神楽舞をし、最後に「御綱祭」を行うという順序でこの型が元の石見神楽の姿のように思われる。

今日の6調子、8調子は大元神楽の前後に行われる大元神事を省いたものである。

 
(社)鳥根県観光連盟発刊 島根のまつりと伝統芸能参照



             
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