伝統芸能紹介


弥栄神社の鷺舞神事 


鷺舞は、島根県の西端「山陰の小京都」津和野町の弥栄神社に伝わる古典芸能神事として、毎年神社例大祭、即ち祇園まつりの7月20日の御神幸と27日の御還幸に限り、津和野町内11箇所の、昔から定められた場所において舞っていますが、昭和58年からは、7月24日を中日と定め、弥栄神社境内とJR津和野駅前で舞っています。

鷺舞いは、天文11年(1543)時の三本松城主、吉見正頼が当時流行していた疫病鎮護のため、山ロの祇園会から移し入れた神事で、もともと京都の八坂神社祇園会に伝えられていたものを、京都から山口へ、山口から津和野へと伝えられたものであります。

その後、吉見末期から坂崎出羽之守の時代は戦乱の世にあって、鷺舞神事も一時中断の浮き目に会いましたが、寛永20年(1642)亀井三代藩主 ? 政が、坂田屋兵左衛門、野村仁左衛門の二人を京都に上らせ、八坂神社祇園会の鷺舞を直接習得、復活させて以来、現在まで連綿と古式そのままに継承されてきた鷺舞といわれています.

永い年月の変遷によって、今は当屋制のこと、鷺舞屋敷のこと、諸々の儀式、ならわし等は省略されて記録に残るのみですが、この優雅な鷺舞そのものは正しく継承され、日本に唯一残る鷺舞として、貴重な無形文化遺産であり、学術的にも高く評価されています。

現在の鷺舞神事は、6月30日、弥栄神社の茅輪神事から始まります。当日神社総代及び鷺舞連中は茅輪神事終了後、社務所において、鷺舞神事の本年度行事の打合せをします。

7月15日の晩、鷺舞連中により、神社境内にある神木欅へ注連縄が奉納されます。これは昔からの鷺舞連中の務めです。7月20日未明、当屋のふれ太鼓を叩き、「当屋へおじゃれや、ふれ太鼓をたたかしょう」と大声で呼び歩きます。

午後より当屋は陣笠及び脇差一本帯刀、警固一名は一文字笠と、両者共に裃を着用し、両名鷺舞連中の集い会わせる鷺当屋へ、二度半の案内をお迎えに行きます。(二度半とは二度鷺当屋へ案内に行き、半とは双方途中で出会う。)

当屋を先頭として警固8人、及び鷺舞連中と共に当屋屋敷(町民センター)に向かい集合し、当屋屋敷の祭壇の前にて儀式に移ります。

儀式終了後、鷺舞連中は衣装を着用し、囃子方は祭壇の前にて演技前奏を奏でます。午後3時、当屋屋敷の前にて鷺舞を演じ終わると神社に向かい、やがて御神幸にお供して定められた場所で鷺舞を舞います。

さて演じます二羽の鷺の内、嘴を閉じている方が雌鳥、開いている方が雄鳥です.鷺の頭は桐材で、重さ約3キロ、羽根は檜材、大中小39枚で、重さ約12キロ、合計約15キロです。鷺を演じる姿は、見た目には誠に華やかですが、両人にとっては長い道中、重労働のため相当な体力が要求されます。

             
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