伝統芸能紹介 |
松江の城山稲荷神社で12年毎に行われる式年行事。同神社の神輿を堀から大橋川、中海経由で、八束郡東出雲町の阿太加夜神社に送り、7日間の祈願ののち、再び迎えるもので、御座船を囲む満艦飾の70〜80隻の船行列が壮観。ホーランエンヤというのは、櫂伝馬船がはやす櫂歌の喋子から名づけられたとも、「豊来栄弥」から生じたことばとも言われています。
城山稲荷は松平直政が寛永15年(1638)松江に入国した翌年、旧領信州松本から勧請したものです。祭りは正保2年(1645)の凶作の際、五穀豊穣を祈って御神体を阿太加夜神社に渡御したことに始まったといわれ、当時は10年毎に行われていましたが、のち12年毎に改められました。祭りが最も盛大に行われだしたのは、七代目藩主松平治郷(不味)のころからで、安政6年(1859)には供船300隻も続いたと伝えられます。
船行列は、城山裏から堀川を通り、大橋川へ出ていましたが、現在は、大橋川までは陸行しています。
祭りの第1日目、神輿が大橋川まで運ばれ、新造の御神船に移されます。行列は先達、曳船、櫂伝馬船、神楽船、御座船の順で、いずれも色とりどりの幟や旗をひるがえし、「ホーランエンヤ」とはやしながら、賑やかに漕ぎ進みます。5隻の櫂伝馬船には、はやし手や踊り手が美しい揃いの衣装で乗り込んでおり、なかでも船首に立ち剣櫂をとって舞う百目かつらの男と、船尾で紅白の布の釆を振って舞うあでやかな女形は、豪華で観衆の目をひきつけます.これは、代々口伝によって受け継がれてきたもので、馬潟、矢田、大井、福富、大海崎の5地区の人たちが奉仕します。行列は見物人の見守る中を、大橋川から中海へと進み、夕刻、阿太加夜神社へ着き、神輿が安置され、初日の行事を終わります。
翌日から7日間、阿太加夜神社で祭事が営まれ、中日には櫂伝馬船の乗り手も加わって、大祭が行われます。9日日は還御祭で神輿は初日と逆のコースで大橋川をさかのぼり、城山稲荷に還幸します。
大衆の信仰によって支えられ、300余年も伝承されたホーランエンヤは、厳島の管絃祭、大阪の天満天神祭とともに日本の三大船神事の一つに数えられ、最近では昭和60年(1985)5月に行われました。
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