伝統芸能紹介 |
本土から約60kmから80km、古い歴史や伝説で知られ、これらにまつわる伝統行事が数多く残されている隠岐島。
その中の一つに、島後の西郷町池田・隠岐国分寺に伝えられる蓮華会舞がある。
国分寺は、天平13年(741)聖武天皇の詔勅によって創設され、隠岐島の政治文化の統治をなした古刹寺院であり、また、元弘2年(1332)建武中興の英主、後醍醐天皇が隠岐御遷幸の際、行在所(皇居)として入居されたと文献資料に残るところである。
この蓮華会舞は、平安時代から伝えられているが、文献上では江戸時代の『隠州記』に初めて書かれている。しかし古面は平安時代から鎌倉、桃山期のもので、舞そのものが能楽や神楽と異なった、インドや中国の大陸文化の流れをくむ伎楽・舞楽の趣が濃く、宮廷舞楽に属する舞である。
かつては5年に一度、旧暦の6月15日に巡ってくる大法要の際に、120種の舞を五日五晩舞明かしたといわれているが、幾多の時代の変遷により殆どが消えていった。
現在演じられている7種目の舞は明治以後、地域住民の懸命の努力により、親から子へ子から孫へと伝承し続け、月遅れの弘法大師正御影供大法要の4月21日に毎年、本堂前広場に設けられた舞台で公演されている。
舞台では、二人の袖無し姿の子供が菩薩の面をつけ、あぐらをかいて眠り出す「眠り仏」からはじまり、頭のてっぺんに一本角がはえている「獅子」、薄化粧した4人の少年の剣舞、「太平楽」、農作業風の仕草が素朴で可愛らしい「麦焼き」、昇龍の面をかぶり飛び上がったり中途で楽が止み不思議そうに振る舞う滑稽な「龍王」、田楽風な「山神貴徳」と続き、最後に菩薩面をつけ、優美な衣装で静に舞う、「仏舞」で幕を閉じる。
2時間あまりの長舞台を、小学生から老人が演じ、和やかな雰囲気の中に、おりしも散りはじめた桜花の花びらが、舞う人と見る人たちにふりかかり、天平文化の優雅さを満喫するという、さながら王朝時代へとタイムスリップ。これは、地域の人々の生活に深くとけ込んだ「蓮華会舞」のもつ親しみと簡素で純朴な魅力が、人々の心をとらえてやまないところに他ならない。
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