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 8月24日(木)

ソカロ
メキシコシティー ソカロ
 鎌田さんから、メキシコの概要を説明していただいた。

 昔のメキシコ国土は、アメリカのカリフォルニア、ニューメキシコ、アリゾナ地方まで広がっていた。しかし、アメリカの併合により領土権を割譲(1848年、グアダルーペ・イダルコ条約)せざるを得なかった。このため、メキシコの国土は半減。しかも、石油、銅、ウラニウムなどの鉱物資源のある国土を失ってしまった。

メキシコ国旗の図柄となっている鷲が蛇をくわえサボテンの上に立っている図
メキシコ国旗の図柄となっている鷲が蛇をくわえサボテンの上に立っている図
 メキシコは、北をアメリカ、南をグアテマラ、ベリーズに接している。国境は、金網で区切られている。国旗のデザイン、鷲が蛇をくわえてサボテンの木に立っている図は、昔アステカ人が夢の中で見た景色をデザインしたものである。

 現在のメキシコ・シティーは、アステカ時代「テスココ」と呼ばれる湖に浮かぶ都市であった。スペインが植民地化したとき、湖を埋め立てて現在のような都市になったものである。

カテドラル教会内
カテドラル教会内
 したがって、元のアステカ帝国の中心地にあった神殿や宮殿等を壊し、その石材を用いてスペイン風の都市を築いた。現在の国立宮殿の横、テンプロ・マヨール遺跡も1913年ビルの工事で発見され、その後1979〜1984年にかけて発掘整備し一般に公開されている(遺跡は、アステカ帝国の中央神殿のあったところで、100m四方ぐらいの面積)。この地域一帯は、地下がすべて遺跡であり、ビル工事等の際は文化財調査でたいへんだといっていた。

 都市の中心地“レフォルマ通り”からバスを走らせて見学した。ロータリーごとに巨大なモニュメントが設置されている。中央にあっていちばん大きいのが高さ36mの独立記念塔である。また、レフォルマ通りの脇には、数年前に起きた大地震の残骸が数軒痛々しく残されていた。
みやげ品を売っているインディアン衣装の男性
みやげ品を売っているインディアン衣装の男性

 アメラダ公園(車窓)、ソカロ、国営質店、メトロポリタン・カテドラル、国立宮殿、市庁舎などを外観のみ見学して回った。三文化広場では、大道芸人がインディアンの衣装を着て民芸品を売ったり、楽器の演奏をしたりして稼いでいた。

 ついで、グァダルーペ寺院に行った。

 グァダルーペ寺院は、メキシコ国民の精神的支えともいわれる「聖母グァダルーペ」が祀られている。特に貧しい先住民に圧倒的な崇拝を受けており、信者が石畳の境内、中には街中から堂内まで膝行をする姿も見られるという。

 正面の聖母堂(1709年建立)は、地盤沈下のため大きく傾いており、現在、地盤固めの工事中であった。

 午前中で、市内の主なところの見学をすませ、午後はテオティワカン遺跡に向かった。昼食は民族舞踊ショーを見学しながらの会食であった。


 テオティワカン遺跡

テオティワカン遺跡の全容
テオティワカン遺跡の全容(と云ってもほんの一部分)
 テオティワカンは、メキシコシティーから北へ約50kmのところにある。紀元前2世紀頃に建造された宗教都市遺跡である。当時は、人口20万人以上を擁したといわれている。

 この、テオティワカン人は、いつごろどこから来たのか判明していない。また8世紀頃に滅亡したといわれているが、外部から征服されたのか、疫病等によるものか、農地の荒廃によるものか、またはこの地方が黒耀石の産地であるので、あまりの乱掘により資源が枯渇したためなのか、などなどいろいろな説があるが、原因は未だに解明されていない。
ケッアールコアトル
神殿をうめつくすケッアールコアトル

 遺跡の面積は、20kuと広大なもので、この中にケッアールコアトル(ピラミッド:羽毛の蛇、水と農耕の神で飾られている)、太陽のピラミッド、月のピラミッドなどが配置され、中央に幅広く平坦な、かつ直線の死者道が通っている。

美しいサボテンの実
美しいサボテンの実
(食用になる)
 死者の道は、直線で2,000mはあり、まるで滑走路のようである。ケッアールコアトルは四方を城壁に囲まれている。前面には、ケッアールコアトル、トラロック(雨の女神)の彫像で飾られている。これらには、かすかに彩色の跡も残っていた。石の肌がむき出しになっているが、もとは漆喰で覆われ顔料で着色されていたのではないかといわれている。

 地下の構造物もあるが、時間の都合上割愛せざるを得なかった。

太陽のピラミッド
太陽のピラミッド
高さ65m、底辺225m
 最後に、遺跡の中で最も大きい太陽のピラミッドに登った。高さ65m、底辺255mの巨大なものである。ピラミッドには、鉢巻き状に大きな犬走り(回廊状の縁)が5段ぐらいあるので、高所恐怖症の私も安心であった。でも、メキシコの高地で高さ65mの階段登り(248段)は酸欠も手伝って、実に難渋な業であった。しかし、頂上から遺跡全体を俯瞰する様は格別で、汗も一挙にひっこみ征服感に浸ることができた。

 再び街に帰ったのは5時を過ぎていた。最後に、国立人類博物館に行った。開館時間が7時までというのは公立では珍しいことである。敷地面積12万5000u。そして広大な館内には、この地方で栄えた、テオティワカン、マヤ、アステカ等の貴重な遺品がところせましと展示されていた。ほとんどの展示物が石像物であるが、実にすばらしいものであった。

国立人類博物館
国立人類博物館
  マヤ歴の石盤
マヤ歴の石盤 周囲は季節の絵が
 夜は、日本料理にテキーラが旅の疲れを忘れさせてくれた。

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