世界旅トップページ

 8月23日(水)

モンテホの家
メリダの街 モンテホの家
 今日は、午前中はメリダ市内を見学、午後はウシュマル遺跡とカバー遺跡の見学である。

 メリダの街は、碁盤の目状に整然と道路が走っており、南北の通りを偶数、東西の通りを奇数で表示されているのでわかり易い。

 CALLE60通りの中央のソカロ(教会)に面して、市内最古の建築物「モンテホの家」(1549年建造)、そして州庁舎、メリダ中央公園、野口英世が黄熱病の研究に取り組んだ「オーラン病院」があった。野口英世の功績は、今でもメキシコ住民に高く評価されているといわれる。没後、日本の有志の方が病院の前庭に銅像を建立し偉業を讃えている。

オーラン病院
野口英世が黄熱病の研究をしたオーラン病院
 街の大部分の建築物は1500年以降、すなわちスペイン征服後のものであるらしい。

 この地方でよく見かける街路樹に「フランボヤ」という美しい花をつける樹木がある。合歓木(ネムの木)を少し大型にしたものと思えばよい。花は、グロリオサとハイビスカスをミックスしたような赤い花が枝先に集合して咲く(花は、日本のネムの木とは異る)。秋になると30センチぐらいの大きなさや豆をつける。(エジプト旅行の際もよく見かけたけれど、冬期だったので葉の姿も花の形もわからなかったが、ここメキシコに来てはじめてその正体が判明した。)

 次に、街の市場に立ち寄った。この街では、人力による三輪車(リンタク)が庶民の足で、買い物の主婦たちが盛んに利用している。運転する若い男性の数倍(?)もある大きな体格の婦人を乗せて精一杯ペダルを踏んでいる青年の姿は、なんとも哀れとしか表現のしようがない。

農村の子供たち
農村の子供たち
 街を出ると、すぐ農村地帯に入った。農村地帯の民家は、土壁にパラバの屋根である。しばらく車を走らせて行くとムナの街に入った。ここで、少休止し民芸品を売る店に立ち寄った。

 近所の子どもたちが遊んでいるので写真を撮らせてもらった。少しばかりチップをわたし、カメラを向けると、どこからともなくたくさんの子どもたちが集まってきて、手を差しだし「何かくれ」とせがんでくる。同行のみんなと、おやつなどをわたしてやった。

 この地方では、14〜15歳ぐらいになるとみんな結婚するので、どの家でも7〜8人の子どもは普通のようである。人口が増えるのはあたり前だと思った。

 やがて、カバー遺跡に到着した。


 カバー遺跡

 カバーの町は、紀元前800年以前から人が住むようになったという、ウシュマルより古い歴史がある町である。

カバー遺跡
カバー遺跡
300近いチャックの顔で飾られたコズポープ
  カバー遺跡の全容
カバー遺跡の全容 コズポープの北側
壁面を飾るチャックの像
壁面を飾るチャックの像
 スペインが侵攻し、カトリック教を布教するため努力したがなかなか定着しなかった。そこで、マヤ宗教を改宗させるための手段として、マヤの求心的施設の破壊とマヤ文字の消滅(焼却)を行ったと言われている。そのため古い歴史は定かではないらしい。

 カバー遺跡は、古典プーク様式といい、別名“仮面の宮殿”ともいわれている。遺跡のあちこちに雨神“チャック”の顔が見られる。(プーク(PUUK)=マヤ語でユカタン半島中央の丘陵地帯という意味。)

 ここでも遺跡がずいぶんと荒廃していた。少しずつ修理が進められているものの、これだけの広大な遺跡を保存・修復することはかなりたいへんなことと思った。
農家の裏庭で
農家の裏庭で

 カバー遺跡の見学を終え、次はウシュマル遺跡に向かった。途中、農家訪問も行った。訪問した農家は、この町でも裕福な農家と思われた。土壁を白く塗り込め、パラパで葺いた建物が数棟建っていた。奥さんが実権を握っているということで、奥さんの許しを得て家の中を見て回った。庭には、大きな果実をつけた樹木(名称は不詳)、また鵞鳥(ガチョウ)なども飼育されていた。

 農家を出てから、ウシュマル遺跡までは近かった。


 ウシュマル遺跡

魔法使いのピラミッド
魔法使いのピラミッド
 ウシュマル遺跡と、カバー遺跡は姉妹遺跡といわれる。両遺跡間の距離は18kmである(メリダの街からは80km)。遺跡は、うっそうとした自然林の中にあった。8〜10世紀、マヤの古典期に栄えた遺跡である。

 遺跡の最大の見どころは、魔法使いのピラミッドである。高さ38mで、側壁角部が丸みを帯びており、女性的な印象を与える(側壁の斜度45度強、階段 118段)。

ウシュマル遺跡の雄姿
ウシュマル遺跡の雄姿
 ホテルを出発する前に、ガイドブックに目を通しながら、今日はこの美しいピラミッドに登頂できると思って楽しみに出かけた。昨日の、チチェン・イッツァーの「エル・カスティージョ」よりも高さがずいぶん高いのでかなり大変と覚悟もしていた。しかし、到着してみると最近崩壊が進んできており登頂は禁止になっていた。高所恐怖症の私にとっては、助かったというか拍子抜けしたというか複雑な思いであった。

 「魔法使いのピラミッド」伝説では、このピラミッドは小人が一夜のうちに築き上げたと言われているが、実際には 300年の間に5つの神殿を順番に築き上げ、また数回にわたって増築しながら現在の大きさになっている。
ウシュマル遺跡
ウシュマル遺跡

 説明では、頂上に神殿があり、大きく口を開けたチャックが人を呑み込むような感じの像が置かれているという。壁面の精巧な装飾も見応えがあるようである。

 ピラミッドの頂上近くの裏側には、最近調査のために穴が開けられていた。内部には4つの神殿が隠されており、その1号神殿からウシュマル女王と称される人の頭が、蛇の口から出ている姿の石像が発見された(国立博物館展示)。

ウシュマル遺跡
ウシュマル遺跡
 その他、総督の宮殿(縦 153m、横 180m、高さ12m、上層に3層のテラス)、尼僧院、球技場、亀の家などを見学してまわった。広大な台地に遺跡が点在する大団地である。

 遺跡の特徴は、この地方が“カルスト台地”であるため河川がなく、生活用水、農業用水はすべてが雨頼み! だから“雨乞い”が中心の生活であった。そのためか、遺跡のいたるところに雨神であるチャックの顔、雷紋、頭に飾りつけた人物像が飾られていた。

男性のシンボルといわれる石碑
男性のシンボルといわれる石碑
 遺跡の広場正面に、棒状の大きく傾いた石碑があった。この碑の謂われを聞いてみた。これは「肥沃な大地(女性)に男性のシンボルを打ち込んでいることを意味する」ようである。このようなモニュメントは他の遺跡にもあった。ただし、石柱はまっすぐに立っていたのだが・・・・。

 ウシュウマル遺跡を後にしたのは午後3時半を過ぎていた。そして、次の目的地に向うためカンペチュの空港に向った。空港までは1時間半ぐらいの道程であった。

 20日から今日まで、ユカタン半島を精力的に案内してくれた中島敏子さんとは空港でお別れすることになった。


 ここで、ガイドの中島さんが説明してくれた、この地方の珍しい変わった話を拾って紹介しておく。

メキシコ人は、小柄な人種、そして親日家が多い(大柄な体躯でないので威圧感がないようだ)。

メキシコ人は、おおらかというかルーズというか、時間の観念が非常に薄い。1時間ぐらいの遅れはあたりまえで、2時間遅れもヘッチャラ!。 友達からパーティーに招かれ、遅れては相手方に失礼と思って定刻にでも訪問しようものならたいへんなことになる。訪問する家では、そろそろ準備にかかろうかといったところ・・・。8時がお招きの時間なのに、10時頃になってやっとお客さんがチラホラ集まりはじめるといったところである。どうやら“出雲時間”に大きく輪をかけたようなものである。

メキシコ女性はプライドが高い。名刺に「大学卒」の肩書きを入れている。家事は、お手伝いさんにお任せ。お手伝いさんを使わないと世間から卑下されるように思っているらしい。だから、メキシコの女性は料理の仕方を知らない。スーパーに行っても、料理に使う肉を選ぶこともできない。こんな国柄のためか、スーパーでは玉ねぎも皮をきれいに剥いで売っている。週に2回、定期的にパートさんが来て、台所の準備、掃除などを完全に済ませてくれる。

自家用車も、輸入車は価格が高いので買えない。トヨタ車は、現地法人がないため価格が高くなるので買うことができない。したがって、日本車というと現地法人のある日産車がいちばん多い。

運転免許は、手数料を払えば入手できる。そのほかは、視力検査ぐらいが必要である。ちなみに手数料は15USドルぐらい。1年、2年、3年と免許は年数によって料金が決まっている。

交通違反をしても、お巡りさんへの袖の下次第。お巡りさんも、生活が苦しいので「稼ぎがなくては」ということらしい。また、車両保険をかけている車が少ないので、交通事故には要注意。特に、車の盗難が多いので覚悟しておくこと。

賃金は安い国。1日4USドル(38ペソ)。例えば、ホテルのフロントマンの1カ月平均賃金は500〜600USドル。反対に、家賃は非常に高い!。特に市街地に近いところほど高い。3LDKが400〜500USドル。

子どもも働いている。学校帰りに、学生服を着たままスーパーのレジの下で働いている。仕事は、お客さんの買い物を袋に詰めるのを手伝っている。スーパーからの賃金は出ないが、お客さんからチップをもらって稼いでいる。

水道(飲料水)、ダウンタウンでは給水時間が決まっている。市民(特に昼間働いている人)は、水売りのミネラルウオーターを20リットルタンク数個を買いだめしておく(20リットル=15ペソ)。ちなみに水道料金は1カ月2USドルぐらい。

社会保険制度が不備。医療は自由診療がお奨め、良いドクターに巡り会える。ただし、医療費は高いことを覚悟しておかねばならない。
 例:盲腸の手術・・・日本円にして60万円ぐらい(約5000USドル)。日本に旅行して手術を受ける方が安い?風邪で点滴、1日入院・・・100USドルぐらい


アラメダ公園の記念碑
メキシコシティー アラメダ公園の記念碑
 こんな話を聞いているうちに、目的のカンペチュの空港に到着した。

 カンペチュの空港から、メキシコ行きの飛行機に乗った。約2時間のフライトであった。メキシコ空港で迎えてくれたのは、現地ガイドの鎌田氏で、今晩からわれわれの面倒を見ていただく。

 メキシコシティーに到着した頃は、すっかり日も暮れていた。夕方、雹(ひょう)が降り、その雹が排水溝を詰まらせたため市内のあちこちで洪水が起こり、それが夕方のラッシュ時と重なり大混乱したといっていた。

 夜は、久しぶりに豪勢な中華料理に舌鼓を打った。

 メキシコでは、最近台風のため大雨が降ったので急に涼しくなったようだ。標高2,240mというメキシコシティーでは、夜の気温が16〜17℃と夏の服装では少し肌寒さを感じるぐらいであった。

 今日のホテルは「日航メキシコシティー」である。

世界旅トップページ