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 8月22日(火)

 今日は、カンクンの街を後にして「メリダ」まで移動する(道程320km)。途中、チチェン・イッツァー遺跡を観光する。

 カンクンの街を出ると、車は自然林の中をかなりの時間突っ走った。ジャングルの中に発見された遺跡といわれているが、ジャングルといってもわれわれが想像するような巨大な密林といった感じはない。降雨量が少なく、土地が痩せていて木が育たないのかとも思った。ときどき、白い皮肌の樹木に樹液を採るための傷を付けたものを見かける。「チクサポテ」の木である。この樹木から採れるチクレという樹液は、チューインガムの原料になるので、日本にも輸出されているとのことであった。


 チチェン・イッツァー遺跡

エルカスティージョ
新チェチェン エルカスティージョ
 チチェン・イッツァー遺跡は、アメリカ南部の密林に栄えたマヤ文明遺跡で、7世紀頃に最も隆盛を極め、200年以上にわたって、芸術・宗教・経済の中心地をなしていたが、その後衰退して姿を消した。しかし、10世紀になって中央高原で覇権を握っていた戦闘部族、トルテカ人と手を組み再び繁栄を取り戻したという。

 「チチェン・イッツァー」とは、マヤ語で“泉のほとり”に住む“イッツァー人”という意味である。

 遺跡には、旧チチェンと新チチェンがあり、最初は新チチェンから見学した。

チェチェンイッツアーのピラミッドに登る人たち
チェチェンイッツアーのピラミッドに登る人たち
 新チチェン遺跡の見せ場は「エル・カスティージョ」(スペイン語で「城」あるいは「城壁」という意味)。ここがチチェン・イッツァーの中心的神殿で、9世紀初頭に完成したといわれる。高さ25m、底辺40m、9層の基壇をもっており、四方に階段が設けられ、マヤの農耕歴と祭事歴を象徴するようになっている。四方の階段と基段の数を合わせると、365段、一年間の日数と合致すると云うのも偶然というか、不思議というか面白い。

 中央階段の蛇頭ククルカン(羽毛の蛇)をしつらえた階段があり、年2回、春分と秋分の日の太陽が西に傾くころ天空から蛇が降りてくるような影が現れるといい信仰の中心ともなっている。

 この、ピラミッド(エル・カスティージョ)は登頂が許されていた。45度の急斜度の階段を登るのは実に肝を冷やす業であった。手すりもない階段を、片手にカメラ、もう一方の手を石段につかまり体を支えながら登頂した。
ツオンパントリ
ドクロで飾られたツオンパントリ

 上段には、神殿がありヒスイの目をもつ赤いジャガー像と、生贄(いけにえ)の心臓を置いたといわれる「チャックモール像」がある。上部の犬走は実に幅が狭く手すりもないのであまりの怖さに肝心の像を見逃してしまった。

 この、エル・カスティージョを中心にツオンパントリ(頭蓋骨の城)、戦士の神殿(別名:千本柱の神殿)、そして勝者を斬首し、その首を神に捧げるという残酷な儀式を行った球技場がある。縦145m、幅37mの長方形で、球技場の壁(高さ12m)はやや内側に湾曲させて造られており、競技の歓声が場内に反響する構造になっている。壁面中央に、勝者の大将を斬首する儀式を絵がいたレリーフがある。

千本柱の神殿
千本柱の神殿
  競技場の壁面
競技場の壁面を飾る勝者の首を奉げる図
 この遺跡の広場に立っていると、往時の悲惨な物語(儀式)の様子がそこはかとなく伝わってくるような気がする。
セノテ「聖なる泉」
無気味な感じの池 セノテ「聖なる泉」

 広場から少し北へ200mほど行ったところに「セノテ」(聖なる泉)がある。自然林の中に石灰岩が陥没してできた直径60m、深さ80mという大きな池である。ここでも“雨乞い”のため、若い処女が人身御供として投下され神々の生贄となった。生贄とともに捧げられた貢ぎ物や、たくさんの人骨が発見されたとも言われている。池は、アオコで水がよどみ、往時の悲惨な様を彷彿とさせていた。

 同じ敷地の少し南側(?)には、旧チチェンの遺跡がある。
旧チェチェン・イッツアー遺跡
旧チェチェン・イッツアー遺跡

 ここの目玉は、何と云っても天文台カラコルと尼僧院である。遺跡のいたるところに造られたチャックの像が見どころである。遺跡全体がずいぶん荒廃しており、早く保存の手を打たないと、大部分が滅失してしまうのではないかとも思った。また、その荒廃した佇まいが、一層遺跡の荘重さというようなものを感じさせていた。

天文台カラコル
旧チェチェンの天文台カラコル
  壁面にチャックの顔が飾られた宮殿
壁面にチャックの顔が飾られた宮殿(別称仮面の宮殿ともいう)

 IKLLの大井泉

大地にポッカリあいた井泉
大地にポッカリあいた井泉(井泉では水泳をして楽しんでいる)
 今回の旅程には組み込まれていなかったが、ガイドの中島さんの計らいで「IKLL」の大井泉を見学することができた。

 この井泉は、最近発見されたが急速に脚光を浴びるようになった。井泉の直径は、セノテの井泉より大分小さいのではないかと思った。池の水面まで階段と一部隧道を伝って降りていけるようになっていた。あいにく井泉の見学に入ったとき、停電中で階段が真っ暗闇! でも、せっかく来たのだからと、手探り足探りで池の淵まで降りていった。地表部(開口部)より下部(水面)がわずかに大きいフラスコ状になっているようにも見えた。井泉の壁には、たくさんの蔓草が水面の近くまでのれんのように垂れ下がり、たくさんの蝙蝠(こうもり)も飛び交っていた。そんな中で、観光客の人々が水泳をしており、飛び込みなどに興じていた。元チェッカーズの藤井フミヤも泳いだとか言っていた。

 夕方、少し早めにメリダの街に入った。街に入ると、バスが時々速度を緩めたかと思うと“ガタン、ガタン”と体に衝撃を感じさせる。工事中なのかと思ったが、この街では車が速度を上げないように、バンプ(棒状の突出帯が道路を横断)が一定の間隔を置いて設置されているのだ。

 やがて、運転手さんが「ここが、わたしのマイホーム」と教えてくれた。現在、新築工事中であったが、かなり立派なものである。やはり、この地方ではバスの運転手さんなどは、技術職で給料も上位の方なのかとも思った。

 ホテルに到着した頃、スコールが襲ってきた。ほんの数分間だったが、急に清々とした気分になった。今日のホテルは「ハイアットリージェンシー・メリダ」である。

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