長春・ハルピンを訪ねて

トップページ 7月22日 7月23日 7月24日 7月25日 7月26日 この旅の感想


7月24日(土)

松花江に架る
 今日は、あいにくの大雨に見舞われた。松花江遊覧の予定であったが、その楽しみが半減してしまう。しかし、たいへんな雷雨の中ではあったが、どうにか松花江遊覧(松花江大橋との間のクルージング)を行うことができた。この松花江のことを昔は「スンガリ」(天の川の意)といった。白頭山に源を発し、途中で黒龍江と合流し日本海に注ぐ大河である。
スターリン公園の防洪記念塔(台座に洪水時の水位が)
スターリン公園の防洪記念塔(台座に洪水時の水位が
昔から、大陸の水上交通路の役割を担っている。別名“水のシルクロード”ともいわれている。しかし、この河も一度洪水を起こすとたいへんな暴れ河となって住民を苦しめる。特に、大変だったのは1957年に起こった大洪水で、この洪水の記録は、松花江沿いにある「斯大林(スターリン)公園」(ソ連の統括下時代に建設された公園)の中にある防洪記念塔に水位が表示されている。この水位をみると、被害の大きさは容易に想像することができた。最近では、昨年にも洪水を起こしているようである。

 この松花江も、冬は河面が凍結する。厚さ2mに及ぶ氷が張り詰めるので、川を歩いて渡ることができる。「兆麟公園」では毎年氷祭りが盛大に開催される。ハルピンの風物詩として有名で、世界各地から観光客が訪れるという。(兆麟公園=民族の英雄「李兆麟」を祀ってある公園)

 また、兆麟公園の近くには「兆麟小学校」の標札の掲げられた立派な学校があった。昔、この地区は日本人街だったとのことで、同行された方の中にはこの小学校で学んだという方もおられ、50数年ぶりに母校を訪問で、往時を思い出し懐かしがっておられた。門柱のもう一方には「兆麟小学校 」の標札も掲げてあった。欧風の立派な校舎であった。

 当時、ハルピンは特に人種差別が激しく、日本人街とロシア人街とは住み分けられていたようである。

 午後は、再び列車に乗って長春へ帰った。長春の駅に着いたのは夕方6時を過ぎていた。

夜は、駅前の「春誼賓館」で一行が会食をした。この「春誼賓館」は、昔「大和ホテル」の名で日本の方が経営していた。今では「春誼賓館跡」を記した石碑が立っている。実に落ち着いた雰囲気のホテルで、料理(中国料理)もすばらしかった。


トップページ 7月22日 7月23日 7月24日 7月25日 7月26日 この旅の感想