長春・ハルピンを訪ねて

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7月23日(金)
長春駅コンコース 手前はエスカレーターでホームへ登る
長春駅コンコース 手前はエスカレーターでホームへ登る
 早朝に長春市を出発、黒龍江省ハルピン市()へ向かった。ハルピン市は、黒龍江省の省都で、市の総面積5.31万平方キロメートル 、人口 411万人(ちなみに黒龍江省の人工は 3,640万人である)。中国の最も北部に位置する黒龍江省は、冬が長く、夏が短い大陸性季節風気候地に属しており、四季がはっきりしている。最も寒い1月の平均気温は零下20.1℃というからその寒さが想像できる。

 また、長春とハルピン市は特急列車で約4時間、列車は中国東北地方の大平野を北に向かって進んでいく。鉄路は広軌複線(二車線)である。主要駅で反対方向の列車が停車している場面に出合うことが多い。一般の列車(車両)は、硬座席で冷暖房設備は皆無である。若い男たちは、裸になって窓を開けて暑さを凌いでいる。

これが『満鉄』の姿
これが『満鉄』の姿
 さいわいに、私たちの車両は軟座(日本ではグリーン車)で、乗り心地は良好であった。
車内の売り子さんたちは、他の車両ではあまり売れないのか、私たちの車両ばかりを行き来して商売をしていた。

農村地帯にある駅には必ずと穀物倉庫がある
農村地帯にある駅には必ずと穀物倉庫がある
 車窓から眺める景色は、どこまで行っても果てしなく続く「とうもろこし」畑である。途中数カ所の駅に停車したが、駅の構内には「とうもろこし」を貯蔵する簡易倉庫(出雲地方で見る「しし巣」の大型のような貯蔵庫)が無数に立ち並んでいる。

 また、この地方の農家は平屋の赤れんが造りで、住環境は決して良好とはいえないように思った。

 こうして、長い列車の旅を続けているといろいろの想いが脳裏をよぎる。この立派な鉄路も、われわれの先輩たちが劣悪な環境の中で苦労して築き上げた遺産.....。と思うと、感慨一入である。とにかく平野の中を走っている(カーブが少ない)ことと、路盤がしっかりしていることとで乗り心地は満点である。


ハルピンの街 こんなところで車の運転できる?
ハルピンの街 こんなところで車の運転できる?
 ハルピンの駅に着いたのは、お昼を少し過ぎた頃であった。ハルピン駅に立ったとき、まっ先に脳裏に浮かんだのは1909年(明治42年)10月26日この駅で、日韓併合の恨みをかって明治の元勲伊藤博文が韓国の民族主義者、安重根の弾丸を受けて没したことを思い出した。
聖ソフィア聖堂
聖ソフィア聖堂
午後は「聖索菲亜教堂(せいそふいあきょうどう)」や黒龍江省民族博物館「文廟」、そして中央大街へと見学して回った。ハルピンを称して「東方のパリ」と言われているが、中央大街を散策してみると、特にその情景を肌身をもって感じとることができる。中央大街には、馬迭爾賓館をはじめくさんの欧風建築物が建ち並び、道路は広く石畳を敷き詰めた立派なものである。
欧風建築物と石畳が美しいハルピン中央大街(ロシアの雰囲気が感じとれる)
欧風建築物と石畳が美しいハルピン中央大街(ロシアの雰囲気が感じとれる)
街路樹もとても大きく、この大木が四車線の大通りに枝を広げ大きな緑のトンネルを作っている。実にエキゾチックな雰囲気である。この街でも、孔文先生の遺徳を忍ぶ「中山路」という名称の通りがあった。(この「中山」の名称は「孔文先生」が日本に渡っているときに「中山」の姓を名乗っていたことによる。)

孔子廟へ向う
孔子廟へ向う


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