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中国江南への旅

 中国江南、上海、蘇州、無錫への旅行に参加した。厳寒の2月であったが、江南地方は九州南部と緯度が同じぐらいであるため気温は暖かく、その上好天に恵まれたこともあり気持ちのよい旅行をすることができた。

 中国というと、かつては遣隋使、遣唐使、そして中国からもたくさんの僧侶が来日、日本にたくさんの文化を斉してきた。それが、今世紀になって日清戦争以来きわめて悲しい、不幸な時代が半世紀にもわたって続くこととなった。この不幸な時代を改めて認識するためにも、今回の中国旅行は非常に有意義であった。
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〈日中戦争の悲しい歴史〉
1894〜95年日清戦争(第一次日中戦争)
1927年(昭和2年)中国から満州を切り離す計画を推し進める(田中義一内閣時代)
1931年(昭和6年)9月18日夜10時頃、日本の関東軍は自から南満州鉄道の柳条湖区間の線路を爆破し、中国東北部の侵略を開始した。
1936年(昭和11年)西安事件
1937年7月7日(昭和12年)蘆構橋事件(日中戦争の発端)
1937年(昭和12年)末までに、日本軍が華北鉄道沿線の主要都市を占領。華中でも上海、南京を陥れる。
1938年10月(昭和13年)広州、武漢を攻略
1939年9月(昭和14年)ヨーロッパで第二次大戦が始まる
1941年7月(昭和16年)日本軍が南部仏印へ進出。アメリカ、イギリスが日本人資産の凍結、石油輸出禁止など対米英との危機が急進。
1941年12月8日(昭和16年)太平洋戦争に突入。
1945年8月15日(昭和20年)日本は無条件降伏(敗戦)
1951年9月8日(昭和26年)サンフランシスコで講和条約を締結。
1952年4月28日(昭和27年)日本と中華民国との第二次世界対戦終了の条約締結。

 このように、日本が中国と戦争を行ったことは日本人の犠牲もさることながら、中国国民に対して多大の犠牲と苦痛を与えた。

 特に、1932年(昭和7年)日本軍が中国十九路軍と上海の労働者、市民を巻き込んだ戦闘、1937年(昭和12年)の蘆構橋事件をきっかけに再び上海で激戦を展開し、多大の損害と苦痛を与えたことを忘れてはならない。(この戦争による日本軍の死傷者は5万人とも言われている。)

 今回の旅行は、このような悲しい歴史を再認識し戦争の犠牲となられた両国国民の鎮魂と戦争という不幸なできごとに対する認識、反省をこめたものであった。


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