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急に屋久島の自然をこの目で確かめて見たくなった。途中、鹿児島で一泊するので桜島にも渡った。

竜ヶ水付近からの桜島
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若い頃にも桜島を観光したことがある。今から40年ぐらい前のことであろうか。当時、溶岩流で一木一草もない大地をバスで走った記憶が残っている。溶岩の西郷隆盛岩、また鳥居の3分の2が埋ってしまっていたところなど、今はどうなっているのかと思った。
桜島を時計回りにタクシーを走らせた。噴火の際の避難シェルターがあっちこっちに見られる。噴火はいつ起るのかわからない住民が島を脱出する時の一時避難施設なのである。
安永大噴火(1779〜80年)以前の溶岩流跡は、今ではほとんどが樹木に覆われてしまっている。最も大きかった大正大噴火(1914年)跡は、今でもその凄まじさを現している。村の集落を十数メートルもの溶岩で埋めつくし、対岸の大隅半島をも陸続きにしてしまった。黒神地区(黒神中学校脇)にあった神社の鳥居は、その後掘り出され記念物として保存されている。

桜島大根畑と霧の桜島 |
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溶岩の山と御岳 |
埋れた鳥居の写真を撮っていると、黒神中学校の生徒さんたちが近寄って来た。クラブ活動で環境保護の問題に取り組んでいるらしい。“桜島をどう思いますか。きれいな桜島にするためにはどうすればいいですか?”いわれてみると、桜島はもとより鹿児島県全体がきれいなところである。―街に、空缶やビニール袋などのゴミが落ちていないところと思った。

真珠湾
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黒神中学校の皆さん、世界中を美しく、きれいにする運動の発信源となるよう頑張ってください!
深い溶岩に埋れた黒神地区を後に、真珠湾の美しい景色を車窓にしながら大隅半島との接続地点に出た。溶岩で400mもの海峡を埋めつくしてしまった場所である。もう一度開削しようという運動もあったようだが、あまりの膨大な溶岩の量に実現しなかったようである。
桜島の噴火は、溶岩流の恐ろしさもさることながら、巨大な噴石弾が数キロも飛んでくる。どこに逃げていいのかわからないという。村役場の前庭にその巨大な噴石が石碑として残されていた。
島の南側で目にした西郷隆盛岩、親子狸の溶岩は今では芒や、松の木立に囲まれ立っていた。

噴煙をあげる桜島 |
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西郷隆盛像の溶岩 |
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狸の姿をした溶岩 |
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