暴力団ミニ講座

35) 住吉会
住吉会は、東京都内に主たる事務所を置き、五代目山口組に次ぐ組織勢力を有する東日本最大の広域暴力団で、その勢力範囲は1都1道1府17県に及び、平成11年12月末現在の構成員(組員)は約6,300名、準構成員(準組員)は約5,000名に達するといわれています。
住吉会は、歴史の古い団体で、明治初期、初代、伊藤松五郎が東京芝浦一帯を縄張りとして結成した博徒、「住吉一家」をその前身としています。
ヤクザ社会のしきたりとして、一家名には初代の名前を冠するか、土地名を付けるようですが、伊藤松五郎は、東京日本橋住吉町で生まれたことから、地名を一家名に冠したものです。
二代目は倉持直吉で、戦後の昭和23年9月、その跡目を継いで三代目の総長に就任したのが阿部重作です。
阿部重作は、昭和33年、警察による取締等によって衰退傾向にあった組織の再興を図って、住吉一家を中心として、関東の博徒、的屋組織を集め、「港会」を結成するなど組織の拡大強化に努めました。こうして阿部重作の下で住吉一家を中心とする港会は強固な礎を築いたといわれています。
その後港会は、「住吉会」、「住吉連合」、「住吉連合会」と名称を改め、平成3年2月、再び「住吉会」とし、西口茂男が組織の最高位である会長並に住吉一家六代目総長を継承しました。
その間、三代目総長阿部重作は、昭和37年に引退、四代目、磧上義光、五代目として堀政夫が跡目を継いでいますが、この堀政夫によって、稲川会を凌駕する東日本最大の大組織にのし上がったといわれています。
なお、西口茂男は平成10年6月、住吉会の会長に、同会理事長であった福田晴瞭を指名、自らは住吉一家六代目総長のままで、福田晴瞭ら執行部の育成に力を注ぐこととするなど、将来を見据えた組織作りを目指しているようです。
以上のように、住吉会の特色は、住吉一家を中心とした連合体組織であるということです。そのため、何時分裂するか判らない危ふさを秘めているとも考えられますが、現在、住吉会は、対外的には平和路線を提唱し、友誼団体との共存共栄を図り、内部的には、理由の如何を問わず、けん銃の使用を禁止するなどの措置をとっているといわれています。
ところが、これまでにも、傘下組織の間では利権等を巡り他団体とのけん銃発砲を伴う対立抗争が跡を絶たない状況にあるなど、上層部の平和路線も末端まで浸透していないのが実態のようです。
住吉会も、東京都公安委員会から暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律に基づき、「指定暴力団」に指定されています。


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