暴力団ミニ講座

34) 稲川会
暴力団稲川会は、東京都港区に主たる事務所を置き、平成11年末現在の勢力範囲は1都1道22県に及び構成員(組員)約5,300名、準構成員(準組員)約4,100名、合計約9,400名を擁するといわれ、東日本有数の広域暴力団です。
この稲川会は、現総裁、稲川角二(聖城)が一代で築き上げた団体です。
稲川角ニは、大正3年横浜で生れ、昭和14年、25歳のころ神奈川県下で1、2を争う博徒、堀井一家三代目(通称片瀬一家)親分、伝兵衛こと加藤伝太郎に実力を見込まれ子分盃を受け、博徒として第一歩を踏み出したといわれています。
昭和16年に至り、当時関東一の親分と称されていた網島一家二代目、通称鶴岡一家親分、鶴岡政治郎の代貸となりましたが、終戦後の昭和23年、静岡県下の温泉郷、熱海市内でいわゆる戦勝国となった不良連中が横暴を極めた際、地元を縄張りとしていた博徒山崎一家の要請を受けた鶴岡政治郎の命により、熱海入りした稲川角ニは、またたくまにこれらを制圧しました。その功績を買われて山崎一家の縄張りを譲り受けた稲川角二は、熱海、湯河原一帯に縄張りを確立、熱海市を本拠として「稲川組」を誕生させたのが、現在の稲川会の始まりといわれています。
その後、名称を「鶴政会」「錦政会」「稲川一家」と改称しながら各地に進出して勢力の拡大を図り、昭和47年11月に現在の「稲川会」に改称しています。なお、その間、昭和34年には稲川興産(株)の看板を掲げ東京都内の進出も果たしています。
さらに、昭和60年10月、組織改編を断行、稲川角二は会長から最高位である総裁に就任、二代目会長には石井進を指名しましたが、平成2年10月には、稲川角ニの実子、稲川土肥が三代目会長となって現在に至っています。
このように稲川会は、稲川角二が一代で確立した組織だけに、絶対的な権力を有する総裁のもとで統制をされており、一枚岩の団結を誇っていますが、一方、他団体に比較し厳しい上納金徴収制度を取っているともいわれ、傘下団体の中には、上納金の捻出に苦しみ、不義理や滞納によって降格、破門などの事態も出ているといわれています。
なお稲川会も現在、暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律に基づき、東京都公安委員会から「指定暴力団」に指定されています。


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