暴力団ミニ講座

18) 仁義
広辞苑をひもといてみると、「仁義」とは、「人の踏み行うべき道」、「世間の義理、人情」の意であるとありますが、暴力団社会でいうところの「仁義」には2つの意味があります。

その1つは、暴力団社会固有の支配的倫理観としての「仁義」です。
これまでの暴力団は、弱きを助け強きをくじき、「仁義」を重んずる「仁侠集団」を標榜してきましたが、そうした建前とは裏腹にその実体は、弱きを苦しめ一般市民に危害を加える暴力集団にほかならず、現実に、この日本社会には仁侠集団は存在せず、芝居や講談の世界にしかみられないものです。
また、彼らのいうところの「仁義」も、暴力団社会特有の倫理観に基づいた、「ヤクザとして踏み行うべき道」、「ヤクザ社会における義理、人情」であって、しょせん、一般社会では当抵受け入れられないものです。
その上、最近では暴力団員の価値観も次第に変化し、いわば「ドライ」になってきており、「仁義」のかけらさえ見当たらなくなっているのが現状です。

また、「仁義」についてのもう1つの意味合としては、暴力団社会における初対面の挨拶として行う特定の儀礼様式(対外儀礼)のことを指します。
この意味での「仁義」という言葉は、もともと「辞宜」が転訛したという説と、「時宜」であるという説がありますが定かでありません。何れにしても、こうした「仁義」が博徒や的屋仲間など、いわゆるヤクザ社会で行われるようになったのは、遠く江戸時代にまでさかのぼるといわれ、「仁義」を行うことを「仁義をきる」といい習わしてきました。
この対外儀礼としての「仁義」には、「渡世人の七仁義」といわれる7種の「仁義」があるといわれています。
すなわち、1)伝達の仁義、2)大道の仁義、3)初対面の仁義、4)一宿一飯の仁義、5)楽旅の仁義、6)急ぎ旅(早や旅)の仁義、7)伊達別の仁義といわれるのがそれですが、これらの「仁義」を博徒仲間では、正式には「チカヅキ」(近づきの仁義)、的屋仲間では「メンツー」(面通)とか「アイツキ」(テキヤ用語、アイツキ仁義)といっていたようです。
具体的な仁義のきり方について、いちいち説明する余裕はありませんが、映画や芝居などで、旅のヤクザが訪問先の玄関口で笠を左脇にかかえ、右手を拳にして玄関の敷居につき、腰をかがめて仁義をきるところをよく目にすることがありますので、その恰好を知っておられる方も多いと思います。
今は故人となった俳優の渥美清が演ずるあの「寅さん映画」でも、的屋稼業の寅さんが、「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天(たいしゃくてん)で産湯(うぶゆ)をつかいました根っからの江戸っ子、姓は車(くるま)名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。」と「アイツキ仁義」をきる場面があるのを記憶されている方もあると思いますが、「仁義」の口上では、面識のない相手方に対し、独特の言い廻しで先ず自己の姓名所属団体等を披瀝した上、用向きを述べるわけです。
例えば、「手前、いたって不調法、あげますことは前後間違いましたらご免なお許しを蒙ります。手前、生国は出雲の国は松江でござんす。手前、縁もちまして親分と発しまするは○○一家二代目○○○○の若い者でござんす。姓名の儀声高に発しまするは失礼さんにござんす。姓は松江、名は太郎と申す。しがないかけだしもんにござんす。行く末、お見知りおかれましてお取り立ての程お願い申し上げます。・・・」といったように口上を述べるわけです。
しかし、今の暴力団社会では、「仁義をきる」習慣はほとんど廃れてきているといわれており、最近では、仁義をきらず名刺を用いて初対面の挨拶をするのが一般化しているようです。


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