暴力団ミニ講座

2) 戦後の暴力団小史
●昭和20年代・・・新興勢力の台頭
暴力団の活動は、終戦直後の混乱の中からすでに始まりました。この時期、博徒、的屋といった従来の勢力のほかに、戦後派暴力団である「愚連隊」と呼ばれた青少年不良団が出現しました。
当初は、主としてブラック・マーケットの利権などをめぐって、これら新・旧の勢力や第三国人が対立し、各地で抗争を繰り返しました。
これら新・旧勢力は、経済、社会の安定化とともに、次第に競輪、競馬、オートレース、モーターボートレース、あるいはパチンコ等に関係し、盛り場や観光地などで活発に活動するようになりました。
昭和20年代末には、それまで比較的低調であった博徒の活動も目立つようになりました。もともと強力な組織力を持つ博徒が、賭博だけでなく、こうした新しい利権に介入してきたため、地方的な規模で、多くの対立抗争が発生し、その原因を複雑なものとしました。

●昭和30年代・・・暴力団の再編、大型化、広域化
昭和30年代は、いくつかの暴力団が地方的な闘争の中から抜け出し、各地に進出して抗争を引き起こし、大型化、広域化して行った過程として捉えることができます。
こうした大型化した暴力団の直接的な勢力拡大が、昭和30年代の暴力団勢力の増加となり、一方、地方レベルの中小暴力団にあっても、これに対抗し勢力を拡大しようと努めたため、暴力団全体の勢力の増加が著しく、昭和38年には、その団体数約5200団体、構成員約18万4000人で、ともにピークに達しました。
この時期、博徒、的屋、愚連隊などの間の対立抗争や離合集散の結果、新興勢力の愚連隊も博徒や的屋の習慣を模倣するようになっていきました。他方、博徒や的屋も愚連隊のように利益になるものは何でもするようになり、新・旧勢力の活動における差異はそれほど大きなものではなくなりました。
このような「暴力集団」を一括して「暴力団」と呼称されるようになり、その呼び方が社会的にも定着しました。
また、暴力団問題が重大な社会問題であり、かつ治安問題となってきたことが広く社会的にも認識され、暴力追放の世論も大きく盛り上がりをみました。

●昭和40年代・・・暴力団の組織強化
昭和30年代を通じて拡大してきた暴力団勢力は、大規模な対立抗争を全国各地で繰り返すなど、社会に深刻な脅威を与えるようになりましたが、こうした情勢を踏まえ、警察においては昭和39年から昭和40年代前半にかけて、全国警察が一体となって「第一次頂上作戦」といわれる長期にわたる総合的、組織的な暴力団取締が展開されました。一方、この時期全国的な暴力団排除活動も最高潮に達しました。
その結果、幹部をはじめ多数の暴力団組員が検挙され、暴力団組織に大きな打撃を与え、多くの暴力団組織の解散が目立ち、暴力団の活動も停滞しました。
しかし、昭和40年代半ばから服役していた暴力団幹部らが出所してくるとともに、もとの大規模暴力団を中心に、暴力団組織の復活、再編整備の動きが強まりました。下位団体からの上納金制度が確立され、大規模暴力団は組織力を強化し、一層大規模化、系列化されて行きました。
また、暴力団としての組織防衛のために、シンジケート化の動きも始まりました。

●昭和50年代・・・暴力団の知能化と寡占化
警察の取締りと全国的な暴力団排除気運の盛り上がりによって、全体としては暴力団勢力は減少して行きました。しかし、大規模暴力団は逆に勢力を伸張させ大規模暴力団の寡占化の傾向が強まりました。
暴力団の活動の面においては、特に犯罪の悪質巧妙化、知能化の度を深めたことを指摘することができます。伝統的な不正資金獲得手段とみなされていた、覚醒剤の密売、ノミ行為、賭博、債権の取りたて名下の恐喝などの枠にとどまらず、暴力団と関係の深い総会屋等と結託した企業対象暴力や民事上の権利行使を装った民事介入暴力など、不正資金獲得の手段が多様化し、従来にも増して、一般市民生活、経済秩序に大きな脅威を与えるようになりました。
また、同和運動等の社会運動や右翼運動等の政治活動を仮装し、または標ぼうして不正な資金の獲得を図る活動なども活発化しました。

●昭和60年代〜平成2年・・・暴力団の企業社会への進出、重武装化、国際化
この時期の暴力団勢力は、数的には横這いか減少傾向にありましたが、不正な資金を求めて、暴力的不法行為を行う、いわゆる民事介入暴力や企業対象暴力は増加し、暴力団の民事や企業社会への関与がますます顕著になりました。
また、暴力団がより安定した資金の獲得を図るため、一見合法的な各種の企業を設立し、不動産取引き、株式投資、金融事業等を行うなど、企業社会への進出も目立ちました。
一方、大規模暴力団相互の勢力争いの激化を背景とした対立抗争が多発しましたが、それらの過程を通じ、暴力団による爆発物の所持、銃器所持などのまん延、日常化といった重武装化、けん銃密輸事犯の増加といった非常に危険な事態の進展がうかがわれました。
こうした状況と同時併行して、暴力団の外国への進出、国際化の傾向が著しくなり、各種密輸事犯はもとより、外国の犯罪組織との結びつき、外国での観光、風俗営業等への関与なども活発化しました。こうしたことが、外国では「日本のやくざ」の海外進出として恐れられました。

●平成3年以降・・・暴対法施行に伴う新たな展開
平成3年5月、わが国で初めての本格的な暴力団取締法規である、いわゆる暴対法が成立し、平成4年3月1日施行されました。暴力団との戦いは新たな局面に入ったわけです。
暴対法は、暴力団勢力の活動を制限することに大きな役割を果たしましたが、他方、暴力団は、暴対法の適用を逃れるため、フロント企業化、政治結社を目指すなど新たな戦略を取りつつありますので、新しい観点から暴排運動を一層強力に推進する必要があります。


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