瀬田漕艇クラブ機関紙投稿'97.10
なみはや国体 成男ダブルスカル優勝おめでとう

松江ローイングクラブ 松本健治




瀬田漕艇クラブ機関紙投稿'97.10
松 本 家 だ よ り

松本絹子

 「くっそー。」「あの時もう少しがんばっていれば‥‥。」これは県外の試合から帰った時の主人の口癖である。帰ったその日だけならまだしも、これが2、3日続くと聞かされる方は耳にタコである。国体優勝!!何が嬉しかったかと言うと″このグチを聞かされずに済んだ”その一言に尽きよう。
 元来スポーツ音痴の私は、新聞もスポーツ欄は素通り状態。真っ先にスポーツ欄に目を通す主人とは正反対。「この前の○○選手権の切り抜きをしておいて。」と言われても「えーっ。そんなのあったっけ。」という始末。こんな風だから私より周りの人が今回の優勝の記事を見て「ご主人すごいねー。」「見たよ新聞。」などと口々に言われるのを聞き、「みんな見ているんだ、すごいなー。」とそっちの方が感動ものだった。
 さて、97年の3月頃だったか、これからは矢地さんとダブルスカルを組むと決まってから、我が家の状況は前にも増してお父さんのいない生活へと変わって行った。スケジュール表の土日は必ず試合が入り、平日も帰りは21時、22時。夏休みも無いに等しい。やっている本人は「あー。今日も吐く程練習した。」と満足げ(!?)だが、放っておかれる私達は‥‥。
 私達と言うのは、2才になる我が娘だが、日頃あまり父親が相手をしないせいか、「とーちゃん、あっちへ行って。」とかなり手厳しい。負けじとちょっかいを出すもんだから、最後には泣かせて終わり。お父さん!!将来、娘にボートを漕がせるつもりなら、今からゴマすっておかないと。
 ふと、この人はいつまでボートを漕ぐつもりなのだろうかと思う。本人の弁によれば「矢地さんがやめるまで。」だそうであるが、その後もお世話係をずーっとやっているのではないかと秘かに心配をしている。お世話する方からされる方へ変わるのは”ねんりんピック”の頃であろうか。本来の仕事以外にも仕事を抱え過ぎの様な気もするが、好きでやっているので何も言うまい。とにもかくにも体にだけは気をつけて欲しいと思っている。
 何はともあれ、一生に一度あるか無いかの国体優勝おめでとう、お父さん!!

(夫の注)
 「矢地さんがやめるまで。」というのは、「矢地さんがやめたらボクも一緒に止める。」という意味ではなく、「矢地さんがやめれば、社会人大会の30歳以上シングルスカルはボクの天下がやって来る(やっと)。」という意味であった。



瀬田漕艇クラブ機関紙投稿'96.08
96年シーズンについてレポート

松江ローイングクラブ 松本健治