松本コラム
あなたはこれを見てどう思いますか?
平成9年2月3日(月)
○質 問
平成9年1月に島根県艇庫にあった小型テレビが、女子トイレの中で、床に投げつけられ、木棒で粉々に壊されていました。このテレビは、漕ぎ方をビデオに録画して、みんなで見ながら研究するためにありました。これからはできなくなりました。
次のうち正しい答えはどれでしょう。
@「誰か知らないけど、よっぽどストレスがたまっていたんじゃないんですか。」
A(自分達の学校の艇が同じように壊されたら、どこの誰がやったのかわからないけれど、とりあえず同じ艇庫にあるライバル高校の)「艇を同じように壊せばいい。」
B自分がやったのではないので、関係ない。誰かが片づけて、また同じテレビを(誰かがお金を出して)買ってくればいいので、どうでもよい。興味はない。
○傾向と対策
もともと、松江には県艇庫はありませんでした。みなさんのような人たちが、ボートに乗りたくても、艇はおろか艇庫もありませんでした。
そんな状況で昔の人たちは、なんとか艇庫を建てなくてはならないと考えました。しかし、そのためには何千万円というお金と土地が必要でした。長い年月をかけていろいろなところにお願いしたり、みんなで知恵を出し合ったりしましたが、なかなか実現しませんでした。
そんな時、今から十数年前に、島根で国体(くにびき国体)を開催することになりました。ボートも開催することになりましたが、今までに国体のように大きな全国大会を島根で開催したことはありませんでした。誰も何をどうしてよいのかわからないことばかりで、とても苦労しました。思うように準備はできず、誰もがやめたいと思いました。
すると、がんばって国体を開催すれば、艇庫と漕艇場をつくって、艇も買ってもらえることになりました。これで、みんなの長年の夢がやっと実現することになり、誰もがそのために、あきらめず、一生懸命取り組みました。それでも苦労の連続でした。
国体はみんなの頑張りのおかげで成功しました。念願の艇庫が建って、艇も入りました。残念ながら漕艇場は、みんなの願いもむなしく撤去されました。
もしまた、国体が開催されるとしたら30年後でしょう。また同じように成功させることはとても難しいことです。国体に関係した昔の人たちは誰も、この県艇庫を見ると、この艇庫を建てるためにあの当時、とても苦労したことを思い出すのです。
わたしたちは、この艇庫をなにげなく使うことができます。時には、平気で壊したり、いいかげんに扱ったりしています。そんなのを見ると、昔の人たちはとても悲しくなります。いったい何のためにあんな苦労をしたのでしょうか。
あなたも、知らないうちに昔の人たちががんばった積み重ねでボートが漕げています。そして、あなたにできることは30年後に国体が島根県で開催されるとしたら、一緒に苦労して艇庫の建て直しのために協力するか、今、大切に使って、30年後まで次の後輩たちが気持ちよく使えるようすることなのです。
(松江RC 松本健治)
97年全日本社会人実業団選手権競漕大会ナックルフォアの優勝について
第47回大会(平成9年;神奈川県相模湖)
| 1位 | 松江RC | 3分57秒84 |
| 2位 | 警視庁BC | 3分59秒39 |
| 3位 | 日本生命A | 4分01秒57 |
松江ローイングクラブは、昭和57年のくにびき国体をめざして、昭和55年に結成されました。当初から、ナックルフォアを中心として取り組みました。
くにびき国体の時は、国体優勝を目標に、厳しい練習の末、優勝候補の筆頭として、大会に望みました。順当に勝ち進んで行きましたが、決勝で破れ、惜しくも2位になりました。島根県のボート界は、満足の結果でしたが、メンバーにはどこかに心残りがありました。
その後、国体などの全国大会に、優勝をめざして、参加し続けました。しかし、昭和63年からナックルフォアの種目は国体、インターハイなど全国大会から廃止となり、シェル艇に変わりました。
松江ローイングクラブは、国体をメインに活動していますので、今はナックルフォアを漕ぐことは少なくなりました。
全国大会でナックルフォアの種目が続いているのは、全日本社会人実業団選手権競漕大会だけです。「ナックルフォアで全国制覇をしたい。」という昔の選手の夢を引き継いで、この大会に参加できる機会にはナックルフォアにエントリーし続けました。
しかし、この大会のナックルフォアも廃止が検討になり、数年後には無くなる可能性になりました。その前にどうしても、優勝しておきたいと強く思いました。
普段の練習は、国体種目で練習していますので、ナックルフォアの練習はなかなかできませんでした。メンバーは、それぞれ異なったクルーで国体に向かって練習して、この大会には、ほとんどぶっつけで、ナックルフォアの試合に望まなければなりませんでした。
結果として優勝できたのは、ナックルフォアとしての練習は少なかったのですが、国体でもダブルスカルが優勝できたように、国体の他の種目でもそれぞれが、充実した良い練習を重ねていたことが要因と思います。あとは、長い経験の技術から「漕ぎを合わせる。」ことだけ集中して実践するだけでした。
こだわったことは、木製のオールです。現在カーボンシャフトのオールが主流の中で、唯一木製のオールで出場しました。木製のオールのほうが、良い事があるわけではありません。ただ、「くにびき国体当時と同じ木製オールを使って、当時、鍛えた松江RCの漕ぎ、漕法を使って優勝したい。」というこだわりでした。先輩達の気持ちを持ってレースに望みました。
レースはスタートから先行を試みて、ダッシュをかけましたが、500mでわずかに遅れ、3位でした。苦しい中、粘って800mからスパートを入れて、辛くも抜け出しました。
くにびき国体から残っていた夢を実現でき、とてもうれしいです。若い選手に松江RCの技術や経験を受け継いで、いつかまた全国制覇をしたいです。
第44回大会(平成6年;兵庫県城崎)
| 1位 | 警視庁BC | 4分15秒73 |
| 2位 | 東レ滋賀 | 4分17秒30 |
| 3位 | 三洋電機滋賀 | 4分24秒52 |
| 4位 | 松江RC | 4分30秒47 |
第46回大会(平成8年;大阪府浜寺)
| 1位 | 警視庁BC | 3分56秒64 |
| 2位 | IHI | 3分59秒61 |
| 3位 | 松江RC | 4分00秒25 |
(注)平成7年は国体中国ブロック大会と日程が重なったため、不参加。平成10年の熊本大会も国体中国ブロック大会と日程が重なり、優勝メンバーは参加できそうもない。しかし、かつてのくにびき国体当時の選手が、復活して、2連覇を目指してくれました。(6位)
(松江RC 松本健治)
第52回国民体育大会夏季大会漕艇競技
成年男子ダブルスカル優勝おめでとう
○いやな予感
2月の終わり、朝日レガッタの申込み締切りが迫り、今年のクルー編成案が出た。例年、もめてゴタゴタするのだが、何故かあっさり決まった。
焦点は2×の組合せだった。過去にこの人と組んだパートナー(M井氏、○谷さん、△田さん、O田さん)は、競技生活を離れたり、人生を踏み外したり、その後、まともな生活を送っていない。(中にはいくぶん立ち直っている人もあるが‥‥。)
誰がご指名を受けるか、みんなビクビクだった。まだまだボートを漕ぎたい私は、いやな予感がした。
○まじめなはなし
当然、3月からたくさん練習をした。(させられた。) たぶん私の競技生活でもっとも練習した気がした。日誌の記録を見ると朝日レガッタまで2×で29回、続いて全日本の4×で22回、国体2×で35回乗艇している。1回の練習で14〜20q、1.5h〜2.0hとして、
朝日レガッタ〔2×〕15q×29回= 435q 2.0×29回=58.0h(3〜4月)
全日本選手権〔4×〕15q×22回= 330q 2.0×22回=44.0h(5〜6月)
国 体 〔2×〕15q×35回= 525q 2.0×35回=70.0h(7〜8月)
合 計 86回 1,290q 172.0h
ところが、96年の記録を調べると、結構練習している。しかも朝夕。
朝日レガッタ〔1×〕12q×34回= 408q 1.5×34回=51.0h(3〜4月)
全日本選手権〔4×〕12q×20回= 240q 1.5×20回=30.0h(5〜6月)
国 体 〔1×〕12q×50回= 600q 1.5×50回=75.0h(7〜8月)
合 計 104回 1,248q 156.0h
「勝つためには、練習するしか方法はない。」が、今思えば今年特別がんばってやったわけではなさそうだった。「日々の積み重ね。」「できる時にやっておく。」「無理をしないで、体調を崩さない。」の継続というところか。
○勝敗の分析
めでたく優勝したわけだが、勝負というのは選手ががんばれば勝てるというものではない。いろいろな要因が、重なって結果が出る。せっかくなので、忘れてしまわないうちに記録に残らない部分を書き留めておきたい。
@スタッフ
97年はスタッフが充実していた。特に現地に同行して頂いた頼田、寺沢、山田の3氏の活躍に感謝したい。出発前の合宿では、ビデオ撮影やカタマラン艇の随伴から始まり、現地の配艇練習での雑用など、たくさんの仕事をこなして頂いた。
なかでも、準決勝・決勝では台風のため、日程が大幅に変更となり、リギング時間が70分前から50分前に短縮となった。エンジンのかかりにくい老体選手は、ウォームアップが重要で、「今日は総力戦になる」のことば通り、漕艇場にアップ用のエルゴの搬入、迅速・的確なリギング作業、レース後は直ちに片付け、クールダウンのエルゴと見事なチームワークで乗り切った。選手がレースに集中できたのもスタッフのおかげである。絶好のスタッフ陣であった。
また、山田氏は不慣れな島根大女子クルーからリギングのサポートで、好評を得ていた。(なぜか相棒の沖田氏には煙たがられていた。‥‥夕食後のご乱心が原因か)
その他、ご紹介しきれないが、いろいろなところで支えて頂いた方々も多く、重ねて感謝を申し上げる。
A成年男子舵手付きフォア「中国電力・松江RC」
順位決定に残れる実力と組合せにいながら、敗退してしまった。残念だが、国体に勝つには、やはり練習が足りなかったような気がする。
それはさておき、2×が練習する時に、常に並べて、合宿も共にした仲間である。並べていると、ついつい本気になるご老体クルーには、良い練習相手であった。たまに負けてあげれば、4+も自信がついただろうにと思うが、とにかく勝ちたがるご老公は、最後までご満悦になっていた。4+との競争により、練習内容の密度が一気にあがり、さらに2×の艇速がついた。
B成年女子舵手付きフォア「島根大・松江RC」
目標の準決勝に進出できて良かった。予選のシート外しには肝を冷やされたが、まあ、こんなところか。
元気一杯、やる気満々、とても熱心なクルーだった。(少々ヘタクソだったが)
真面目な良い娘ばかりで、島根県選手団のムードの盛り上げに一役買っていた。合宿もよく気がついて、よく働いてくれるので、非常に助かった。遠征も楽しく過ごせたのは、彼女たちのおかげである。
C少年女子シングルスカル「中西久美子」(松江高専)
破竹の勢いで決勝進出を決めた。常に最初のレースで小気味よく勝つので、島根県全体が引っ張られた。先鋒が勝つと、他も調子づくので重要な役割を担っていた。
期待はしていたが、それを見事に達成したのは文句なくすばらしい。決勝で負けてしまうところはご愛嬌か。
いまどきとしては珍しく、ルーズソックスもミニスカートも履かず、ポケベルも持たない女子高生だが、素直で明るく、頭の良い女の子である。ついつい、おじさん達もうれしくなってしまう。
D宿舎
宿舎は96年の社会人大会で泊まった所だった。漕艇場から近く、勝手も知っていて助かった。食事はまあまあ良かったが、ごはん(お米)がおいしくなかった。島根県選手団は毎晩、例のごとく宴会だった。他県からあきれられた。
E練習内容
国体を想定して、エンパッハの艇に乗らず、7月から桑野造船の艇で練習した。当初、日本艇特有の乗り心地にとまどった。新型のスムーシオールは採用しなかった。
練習は、低いレートで高い強度のパドルによるロング漕と、矢地氏の好きな、500m、800mがおもだった。しかし、「この国体はスピードレースになる。」の私の予言から、出発直前2日間は30本のインターバルをして、スピード練習をした。ペースコーチの表示は 1'28"〜 1'35"、レートは35〜38で漕いだ。
果たして、予言通り台風の追い風、雨後の順流の中、レースはおこなわれた。
Fライバル
昨年優勝した明治生命は、4+になった。ライバルは朝日レガッタで負けた三洋電気と、品川白煉瓦あたりか。
国体直前に三洋電気の小畑君が世界選手権に参加のため出場できないとの情報が入る。矢地氏ニンマリで早速電話が来る。強敵の東レは県予選で三洋電気が潰してくれていた。トヨタ自動車、中部電力、NTT関西もいない。
関西電力(昨年4位)はケガのため、満足に練習できていない。愛媛選抜はインカレ後に2週間しか練習していない。長野選抜は40才。NTT東京は速くない。等々の情報あり。
予選後、品川白煉瓦の春名君がギックリ腰になった。またまた、ニンマリ。人の不幸を喜んではいけない。
Gさらに幸運
逆風でも悪くはないが、整調のフライアップが顕著になるところがあった。どちらかと言えば、順風が得意で好きなご老体クルーだった。特に3分少々の速い時間に終わる今回のような条件は、ウルトラマンにとって最も好んだ条件だった。
予選は最高タイムを狙った。風や条件も良く、1番を取れた。そのため、準決勝の組合せ・時間に恵まれた。準決勝は、後半に追い込まずに済んだ。
台風が来て、日程が大幅に変更になった。1日2レースはご老体クルーには厳しい。しかし、レース間隔が3時間とれた。他の組では1時間40分のところもあった。
決勝のレーン抽選は、私が4レーンを引いてしまった。その日最も不利なレーンだった。最後の不運だけは、実力で振り払った。
Hレース状況
スタートはレート42〜39でダッシュをかけた。150mあたりまでそのままいって、少しずつレンジを稼ぐことで、レートを37〜35に落ちつかせた。セトルダウンなど意識せずに、水中の長さと強さをキープすることだけ考えた。順風で疲れる間もなく、500mになり、足蹴りを入れると意外と艇速が伸びた。
準決勝の前は、水上で時間がないので、持ち込んだエルゴで入念にウォームアップをした。
準決勝が終わり、すぐに艇を片づけて、クールダウンでエルゴを漕いだ。そのあと、温水シャワーを浴びて、着替えて4+の結果を気にしながら、艇庫の奥で横になった。60分くらい静かにじっとできた。中西さんが決勝前だというのにバタバタしているのをなんとなく眺めていた。だいたい、2レース目はボロボロになるが、この日は元気一杯で回復した。
決勝では500mの足蹴りが準決勝のようにいかず、相手も離れず、700mから「もう行くしかない。」とさらに足蹴り。850mからスパートを入れて逃げきった。朝日レガッタ・中国ブロックとラストで刺され負けていたので、中国ブロック直後からスパートの練習をした。最後になって、厳しいレースとなったが思った以上にうまくできた。
(松江RC 松本健治)