フィツィ美術館前(右)ヘラクレス像
われわれ戦中派にとっては、青春時代は戦後の混乱期、およそ海外旅行など想像だにしなかった。若い頃に詠んだ川柳に−「青春は雲に乗りたい夢をもち」−今では、日本は世界が注目する経済大国になった。海外旅行など日常茶飯事で、実に豊かな平和な世の中になったものである。

今回、友人の誘いもあって、イタリア旅行(主催=(株)山陰中央新報トラベル)に参加する機会を得た。季節は11月中旬、欧州では初冬の気配が濃厚な時期である。イタリアは、長靴のように地中海に細長く突き出した国、緯度で見ると北部のミラノ、ベネツィアは45゜(日本の北海道北部)、中部のローマは42゜(北海道の南部)、南部のナポリは41゜(青森県ぐらい)である。
旅行中は比較的好天に恵まれ、暖冬(異常気象)でとても凌ぎやすかった。この天気も、帰国して数日後にはヨーロッパ各地に大寒波が襲来し、数十人の死者が出たというニュースを聞いた。いい時期に旅行できたと胸をなで下ろした。

 出発前、イタリアをある程度頭に入れて出かけた。イタリアを象徴する言葉に「オーソレ・ミオ太陽の国」「アモーレ恋の国」「カンターレ歌の国」などさまざまな形容詞で紹介されている。また、「ファッションの国」「芸術の国」「遺跡の国」という紹介もある。遺跡では、全世界の6割という莫大な数がイタリアに存在するというから本当に楽しみな国である。ものの本によれば、イタリアは文化財を大切にする国であるという。かつて第二次大戦の時、いち早く美術館を閉鎖し主要美術品を疎開させたという。また、疎開不能な記念物などに対しては、空襲による破損をできるだけ免れるよう手当を施したということである。

私たちは、北部ミラノを皮切りに、少し東に走り、ベネツィア、パトヴァへ、そしてアペニン山脈を越えてフィレンツェ、ピサ、少し南進してアッシジ、中部のローマ、さらに下って南部のナポリへと、長靴のようなイタリア半島をほぼ縦断した。長靴の爪先までとはいかなかったが「くるぶし」ぐらいまでは下って行ったことになる。

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