Local Hot News・・・・・・・・・・by Web−さんいん



さすが「出雲は神話のふるさと」

銅鐸31個が出土



 斐川町の荒神谷から3キロ離れた大原郡加茂町岩倉の農道建設現場で、去る10月14日、弥生時代中期から後期と思われる31個もの大量の銅鐸が一度に発見された。
 全国でこのように1ヶ所で大量の銅鐸が見つかった例は、今までどこにもないといわれている。まだ土中に埋まっている4個も数に入れる可能性があり、出土数はさらに増えるかもしれない。
 今回発見された加茂町岩倉は、斐川町の荒神谷遺跡に近く、両遺跡の関係や銅鐸にまつわる謎は今後考古学界の関心事になりそうである。
 これらの遺跡が何れも農道建設現場であること、農村集落に近い丘陵斜面の中腹であることなど、相通ずるものがある。また工事に携わった業者の方が荒神谷の農道工事にも関係した人であったため、発見が早く、大事に至らなかったとのこと・・・。バックホーで山の斜面を削っていたところ、地表から3メートルの真砂土の中からプラスチックのバケツの様なものが現れ、作業を中止し同町教委に届けられたことなど、貴重な文化財が大きく破壊されずに済み、全く幸いの一言につきる。
 出土した銅鐸は、高さ30〜50センチ、保存状態も非常に良いと聞いている。

 以下「山陰中央新報」の記事。

 最古段階から新段階の四段階の銅鐸の形式分類のうち、現時点で古段階の外縁付紐(がいえんつきちゅう)式と中段階の扁平紐(へんぺいちゅう)式が確認。文様は土に覆われているため十分に分かっていないが表面を四区画と六区画に分ける袈裟襷文(けさだすきもん)と、流水文が描かれている。
 荒神谷遺跡では、全国の総出土数を上回る358本の銅剣と銅鐸6個、銅矛16本が出土。うち銅鐸は高さ22〜24センチと小さく、最古段階から中段階まで比較的古い銅鐸が多かったのに対し、今回は荒神谷銅鐸より大型で新しい物も含まれていることから、年代的に幅があると見られる。
 加茂町教委は、島根県教委や文化庁と連携しながら今後、調査する方針だが、弥生時代の出雲地方に近畿、九州双方と並ぶ大勢力が存在したことがあらためてうかがえ、全国的に再び古代出雲が脚光を浴びそうだ。

荒神谷遺跡に匹敵の大発見

高倉洋章・西南学院大教授の話  荒神谷遺跡に匹敵する大発見。本当にびっくりした。神原神社古墳の近くというのも気になる。荒神谷遺跡出土の銅鐸を合わせると、最古段階から新しい段階まで、すべての時代の銅鐸がそろうことになり、埋納した人が銅鐸についてよく知っていたと思われる。
 分け与える前の状態か、東南にある銅鼓のようにたくさん使って鳴らしたとも考えられる。一度に集めたとも考えられるが、徐々にたまっていった可能性もある。数の多さだけでなく、銅鐸が何に使われたのかを明らかにする貴重な遺跡。荒神谷遺跡とで考えれば、両遺跡のなぞを解くこともできると思う。


銅鐸  400個を超す発見例のある弥生時代の青銅器。形は釣り鐘状で、表面を区画し、流水文、シカ、昆虫などの文様を持ったものもある。使用目的はなぞに包まれているが、農業の豊作祈願など農耕祭祀(さいし)用の祭器説が強い。初期の銅鐸(小型)には風鈴のよな舌のあるものが多く、鳴らして音を聞く銅鐸から見る銅鐸(大型)へと変化したとの説もある。近畿を中心に多く出土するが、近年は、北部九州でも出土例が増えている。


静かな山村、大量銅鐸出土に沸く

 15日午後、加茂町の速水雄一町長は、同遺跡を「加茂岩倉遺跡」と命名した。
 澄田島根県知事も早速現地を訪れ、銅鐸を目の当たりにしながら非常に驚いた。これで古代出雲に一つの大きな文化圏があったことを確実なものとすることができる。来春から東京で開く「古代出雲文化展」にも実にタイムリーな出来事、目玉品目として展示できる。地域の活性化へのになることはもちろんだ。荒神谷遺跡と結びつけて今後大いに研究していきたいものと喜びを隠せない様子であった。

加茂岩倉遺跡ホームページへ


Hot News
Web−さんいんホームページ