最古段階から新段階の四段階の銅鐸の形式分類のうち、現時点で古段階の外縁付紐(がいえんつきちゅう)式と中段階の扁平紐(へんぺいちゅう)式が確認。文様は土に覆われているため十分に分かっていないが表面を四区画と六区画に分ける袈裟襷文(けさだすきもん)と、流水文が描かれている。
荒神谷遺跡では、全国の総出土数を上回る358本の銅剣と銅鐸6個、銅矛16本が出土。うち銅鐸は高さ22〜24センチと小さく、最古段階から中段階まで比較的古い銅鐸が多かったのに対し、今回は荒神谷銅鐸より大型で新しい物も含まれていることから、年代的に幅があると見られる。
加茂町教委は、島根県教委や文化庁と連携しながら今後、調査する方針だが、弥生時代の出雲地方に近畿、九州双方と並ぶ大勢力が存在したことがあらためてうかがえ、全国的に再び古代出雲が脚光を浴びそうだ。荒神谷遺跡に匹敵の大発見
高倉洋章・西南学院大教授の話 荒神谷遺跡に匹敵する大発見。本当にびっくりした。神原神社古墳の近くというのも気になる。荒神谷遺跡出土の銅鐸を合わせると、最古段階から新しい段階まで、すべての時代の銅鐸がそろうことになり、埋納した人が銅鐸についてよく知っていたと思われる。
分け与える前の状態か、東南にある銅鼓のようにたくさん使って鳴らしたとも考えられる。一度に集めたとも考えられるが、徐々にたまっていった可能性もある。数の多さだけでなく、銅鐸が何に使われたのかを明らかにする貴重な遺跡。荒神谷遺跡とで考えれば、両遺跡のなぞを解くこともできると思う。
銅鐸 400個を超す発見例のある弥生時代の青銅器。形は釣り鐘状で、表面を区画し、流水文、シカ、昆虫などの文様を持ったものもある。使用目的はなぞに包まれているが、農業の豊作祈願など農耕祭祀(さいし)用の祭器説が強い。初期の銅鐸(小型)には風鈴のよな舌のあるものが多く、鳴らして音を聞く銅鐸から見る銅鐸(大型)へと変化したとの説もある。近畿を中心に多く出土するが、近年は、北部九州でも出土例が増えている。