ホーランエンヤの見どころ


櫂伝馬船上で勇壮に剣櫂をあやつる歌舞伎衣装の男、華麗な女姿の采振り、その化粧はおそらく歌舞伎役者をイメージしたものであろう。
踊り手には鬘(かつら)や特殊な化粧が必要であるが今では地元にその専門家もいなく、しきたりを伝承するため、地区によっては、今回も遠くは京都方面から専門家を招いて祭典に備える。


ホーランエンヤと称する唄。音頭取の高らかなかけ声、一糸乱れぬ漕ぎ手の櫂さばき。ホーランエンヤは、「豊来栄弥」「宝来遠弥」とも書けるが、五穀豊穣への人々の熱い願いが込められている。
この唄は、漕ぐ櫂の調子を合わせるために唄われた船唄で、5地区それぞれに独自の唄を持ち、独自の節回しで唄っている。「ホーオオエンヤ ホーランエーエ ヨヤサノサ エーララノランラ」
よく耳に残る心地良いひびきだ。そしてこの祭には、各地区の唄の名人が出てくるので、その喉の競い合いを聞けるのもおもしろい。


船のヘサキで勇壮に舞う剣櫂の衣装の柄は、各地区が伝統を配慮しながら京都方面に別注する。腰のしめ縄は相撲の横綱を小ぶりにしたもので、紅白、黄色など色とりどりの布地を巻付けて華やかさをそえる。
しめ縄の下の前掛けは、これも相撲の化粧まわしをまねたもの、華麗な刺繍をほどこすので、これも上方へ別注する。
手には、手はん、手負、足にはわらじ、なぜか二足を重ねて縫い合わせ一足とする。
女姿の采振りは、船のトモで華麗に采を振りながら舞う。長襦袢に友禅などの上衣。剣櫂、采振り、二人の呼吸が、渾然一体となっての踊りこそ、この祭の見どころである。


櫂踊りは、幕末の頃、日本海の漁村加賀村の船頭重蔵が、越後地方で習い覚えたものを、各地区が教えを乞いホーランエンヤに取り入れ、当時大変な人気を博したといわれている。
参加する5地区の踊りは唄と同様に少しずつ違っている。
天を指す剣櫂、右手をかざし空を見上げ踊る若者。
4斗樽の上、上半身をそり返し、天空へ華麗に采を振り舞う采振りの美しい姿は、人々を魅了する。
そこには、踊る喜びがあふれ、次代へ伝承する確かな誇りがある。


江戸の初め、松平直政公の頃に始まったこの神幸祭。始めのころは10年ごとに、後年になって12年ごとの式年祭の形で行われるようになった。
船は、もともと松江城内堀の乙部灘から漕ぎ出していたが、堀川の水深が浅くなり、昭和33年を最後に今では宍道湖岸から船出している。
鼻曳船を先頭に、清目船、櫂伝馬船、神器船、神輿船、神能船、両神社氏子船など約100隻が連なり、延々1キロに及ぶ大船団となって進む。
宍道湖大橋から、くにびき大橋間では櫂伝馬船が踊りを披露しながら回り川岸の観覧者に応える。
主役となる5隻の櫂伝馬船は、もとは網船を改造して使用していたが、今では調達が困難となり、今回は前回建造の2隻に加え3隻を新造し使用している。
船は長さ約15メートル、幅約3メートル、乗船人数約50名、飾りつけられた豪華な船に注目したい。
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