2019年9月9日(月)  

プラバホール芸術監督による音楽コラム ぷれこんさあと【10-11月号】


 【ぷれこんさあと10-11月号】
 【ぷれこんさあと10-11月号】
    【中野翔太@Yuuji】
    【中野翔太@Yuuji】
        【松永貴志】
        【松永貴志】
クラシック×ジャズ         

中野翔太&松永貴志 

 あるテレビ番組で、ジャズピアニスト山下洋輔さんが、ジャズとは「ヨーロッパとアフリカがアメリカで出会ってできた音楽」。それは「言葉が音楽になるアフリカの伝統と、ヨーロッパの音楽文化との衝突が、新世界で起きたもので、人類の歴史でたった一回しか起きていない、とても貴重なもの」とおっしゃっていた。

 アフリカから奴隷として連れてこられた黒人達の絶望的な嘆きと、キリスト教が結びついたのが、ジャズの根源と云われる「黒人霊歌」であろう。

 それを黒人社会に留め置かず、音楽マーケットに流通させた立役者の一人は、皆様よくご存知の、ガーシュウィン(1898-1937)である。

 実は彼、はるか昔から虐げ続けられた歴史を持つ民族、すなわち、ユダヤ人だったのだ。

 ロシアからの移民の子としてニューヨークに生まれた彼は、音楽など全く縁のない家庭で育った。わんぱく盛りの6歳の頃、彼はハーレムの街角に置かれた、自動ピアノが演奏する、アントン・ルビンシテインの『へ調のメロディー』に心を奪われたという。友達の家でこっそりピアノを練習していた彼は、12歳の頃、兄に弾かせようと自宅にピアノが運び込まれるとすぐ、難なく弾きこなし、家族全員が腰を抜かさんばかりに驚いたという。14歳の頃、多くの弟子を持つ有能なピアノ教師に才能を見出され、なんとレッスン料なしで、ピアノだけではなく、クラシック音楽の正統的な伝統を教えられたという。

 早くも16歳で、宣伝のために新曲を弾くピアニストとして、流行歌楽譜出版社のひとつに雇われ、プロの音楽家をスタート。わずか5年後21歳のときに、皆さん良くご存知の「スワニー」を生んだ。この曲が気に入った、当時の人気歌手アル・ジョルスンが舞台で歌い、レコードにも吹き込むと、なんと全米で200万枚以上の売り上げがあり、彼はヒットソングメーカーとして最初の成功をつかんだ。

 アル・ジョルスンもロシア系ユダヤ人であった。彼は舞台で歌うときは、いつも顔を黒く塗っていたという。時はちょうど第一次世界大戦が終わったころ。平和を喜ぶヨーロッパでも流行し、ガーシュウィンの名前も普(あまね)く知られることとなった。

 クラシック音楽に大いなる憧れを持っていたガーシュウィンは、26歳のときに『ラプソディ・イン・ブルー』を発表。戦争に疲弊していたヨーロッパに、新興国の若々しい文化としてのジャズは、新鮮な活力を与え、ラヴェルなど、多くの作曲家に多大な影響を及ぼした。

 11月17日の中野翔太&松永貴志のコンサートでは、この曲の持つ生命力を、エネルギッシュにかつハッピーにはじけさせるに違いない。是非ご体感を!


            プラバホール 芸術監督 長岡 愼



第34回松江プラバ音楽祭 11/17公演 ~クラシック×ジャズ2台のピアノの挑戦~中野翔太&松永貴志
バックナンバー(ぷれこんさあと)
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